郡司

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たとえ間違いだったとしても

どんな世界を見ているのかは、人それぞれで皆違う。「どんな風に見えているの?」と、あらためて尋ねてみたりすると、新しい「見え方」の間口になることもあるかもしれない。

「正しいも間違っているも無い」というものも、たくさんある。寧ろ、あらゆるレベル・あらゆるカテゴリ・あらゆる領域において、そうであるものの方が多いんじゃないだろうか…? 状況や経緯や前提によって「適切さ」は違うから、なおさらだ。

ただ、「侵害」だけは、間違っている。
誰かの尊厳を殺すこと、誰かの心の中の大切なものを殺させること、誰かの幸せの状態を侵略的に殺すこと、そして、そういった行為によって傷つき壊れる誰かがいる事実すら顧みないこと。つまり、“自分さえ良ければ他の奴なんかどうでもいい。そこまで考えろ? 知るか面倒臭い。使えるものを使って何が悪い”…というような考えをもとに展開される「愛の無い行動・行為」だ。
ここに「たとえ間違いだったとしても」などという気づきじみた感覚があって、それでもなお明らかに望む何かがあるなら、ひとの痛みへの認知があるぶんまだマシだ。マシだからってやって良いわけないけど。

こう考えるから、私は「精神が何かに酔っていて、それ故に多くの人や命を侵害する“盲目の愚か”が為すこと」には大いに警戒する。人間だから間違うことも当然ある。私も間違う。でも侵害だけは、どこにも正しさ・適切さが無い。

4/23/2024, 3:20:46 AM