わをん

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『上手くいかなくたっていい』


淹れたての紅茶を執事長が口に運ぶのをじっと見つめて評価を待つ。
「うん、美味しくないね」
「ど、どこがダメだったでしょうか……」
「うーん」
紅茶をもうひとくち口に運んだ執事長はカップをソーサーに置くと、全部かな、と執事見習いの僕にニコリと微笑んだ。
練習用の茶器を洗いながら溜息を吐く僕に食器を拭く執事長は笑いかけてくれる。
「まぁ、君は新人だからね。最初は上手くいかなくたっていいんだよ」
「はい……」
でもね、と執事長は続ける。
「上手くいかないままで放っておくのは良くない。人間、向上心が大事だよ」
拭きあがった練習用の茶器を手にした執事長はおもむろにお湯を沸かし、紅茶を淹れる準備をし始めた。僕のやっていた手順と違うところがいくつもあり、僕の知らない細かな技術が散りばめられている。そうして淹れられた紅茶は先ほど自分が淹れたものとは色も香りもずいぶんと違っていた。促されて口にすると味までも違う。
「すごく……美味しいです……」
「それは良かった」
満足気に微笑んだ執事長は誇らしげだ。
「執事長の向上心はどこから来たのですか?」
すると執事長は幾分遠い目をして言葉を探し、奥様のためだと言った。
執事長は現当主である奥様がまだ少女の頃にこの屋敷に雇われたのだという。そういえば奥様が執事長に対しては気安く接しているのを見たことがある。
「かつてのお嬢様に喜んでもらいたい一心が、今の私を形作っているんだ」
それを聞いて思い浮かんだのは今のお嬢様のこと。執事の中では一番の年下であるためにお嬢様との遊び相手になることは度々あり、ときにはお茶会に相伴することもあった。紅茶を美味しく淹れることができれば、お嬢様のお茶会の時間はきっともっと楽しくなることだろう。
「君にも、向上心の出どころがありそうだね」
「……はい」
見透かされているような言葉に照れながらも頷いた。

8/10/2024, 5:33:40 AM