望月

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《夢を見てたい》

 辺り一面を曼珠沙華が埋め尽くしていた。
 金魚は、僅かな水滴を纏い宙を泳ぎ去る。
 手を伸ばせば、全てが蒼き光の粒子となって空に溶けて消えていった。

 此れは夢だ。

 考えるまでもなく、頭が其れを告げた。
 物理法則がまるで存在していない世界でただ一人、不自然に花の咲いていない空気を踏み歩いて行く。
 頭上にも花が咲き誇っている所為で、此処が正しく地面なのかすら分からない。
 曼珠沙華——彼岸花。
 とどのつまり、此処は、幽世と現世の境のようなものなのだろうか。
 だが、三途の川らしき水源はなく、紅で彩られた世界にそれ以外のものは殆どない。

 なら、異世界のようなものか。

 現実世界ではないのだ、不思議な世界観の夢を見たとて不自然はない。
 何故此処に己が存在しているのか、全く心当たりがない。
 其れに、夢だと解れば目が覚めてもいい筈が、その様子がないのである。

 不可思議なものだ。

 違和感は覚えるものの、所詮は夢の中だ、特に気にする程の事でもないだろう。
 幾ら歩けど見える世界に変化はなく、飽きを感じた頃だった。

 誰か、いる。

 遠くに立つ人影を見つけた。
 それが人と解ったのは、此方に向けて声を放っていたからだ。
 上手く聞き取れないが、名前を呼ばれているのだ、と思った。
 懐かしい声だった、とても。

 泣いている。

 それが解った。
 そして、その涙を止める為の術も。
 だからこそ。

 嫌だ。でも、仕方ない。

 最初から夢だと知っていたのだから、諦めはつく。
 この泡沫の夢から逃れることも、容易い。


 目を覚ますと、傍らで泣いていた。
 手を伸ばし、その頬を撫ぜる。
 
 ごめん。辛いんだ、もう。

 その辛い現実に、君はいる。
 だから、生きなければならないのだろう。

1/14/2024, 9:28:01 AM