やさしくされるに値しない。
やさしくされるほどの人間に達していない。
値しない、というのは主観である。
自分に対する自分の評価を、覆すことは難しい。
とはいえ、周囲のやさしい人は、その理由はどうあれやさしい行動をしてくれる。やさしい行動をしてもらえた という事がまず重要だと思う。
当たり前だが、これには感謝をする。
そしてまたも当たり前だが、決して“自分はやさしくされるに値しない”などと言わない。
やさしい人、やさしくできる人の多くは、くだらない人間の自己憐憫に取り合い、慰めてくれるからだ。これは僕にとって、人を振り回しているということで、プライドが高い僕は、高潔な人間でいたいがために、これを避けようとする。
しかし、だからといって悩まないという訳ではない。
悩むことは自分にしか影響がないからだ。
いくら悩んでも、迷惑被るのは結局自分(異論ある。だが認めたくない。悩む事が生きがいであり、それ以外のやり方に適合できない)。
なぜその人は、
僕のどこを見て、
僕が何かしたか、
僕に何かしてほしかったのか、など。
理由がない時もある。
しかし、自分には当てはまらないだろう、と感じている。
それがつまり僕にとっての“やさしくされるに値しない”だと思う。
“理由なく僕にやさしくできるワケがない”だ。
人の善意、良い行動に対し、みっともなく理由を漁っては、頭を抱える。終いには、理由を決めつける。
この行動に全く意味がないのに、なぜ相手の行動には意味があると信じきっているのか。
2/3/2025, 10:17:20 AM