かたいなか

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「『戸籍に読み仮名が登録されていなかった』。これを使ったトリックを去年投稿したわ」
俺自身は年が年だから、「優しい子になりますように」のレトロネームだが、毒母の影響で「優しさとか草ァ!」に育ったぜ。某所在住物書きは語る。
「読み方だけの変更よ。制度の穴を突いたやつ」
俺はこの抜け穴、残しといても良かったと思うけどな。物書きはぽつり、解説を始めた。

「例えば『夏美』と書いて『ねったいや』って読むとする。そこは『なつみ』だろって思うだろう。
可能だったのよ。少なくとも去年までは。『戸籍には読み仮名が登録されていないから』」
去年の時点で「2024年には法改正されるから、この変更は難しくなるかもしれない」と言われていたから、今はどうなってるか分かんねぇけどな。
物書きは当時の投稿を辿ろうとして、案の定スワイプが面倒になり、途中で諦めてため息を吐いた。

――――――

都内某所、某稲荷神社近くの茶葉屋、奥の個室。すなわち上客専用のカフェスペース。
『実は昔と今とで自分の姓名が違う』。
フィクションならではの衝撃事実を、1年前の今頃そのスペースの個室で白状した者と聞いた者がおり、
1周年ということで、白状者と傾聴者が待ち合わせ、同じ個室でランチを楽しんでいた。

「『附子山 礼(ぶしやま れい)。
私の旧姓旧名は、附子山礼だ』」
柚子とレモン香るかき氷を突っつきながら、傾聴者たる女性が1年前の白状者を真似した。
「……私もこーいう名乗り方してみたい」

いいな、い〜なぁ。 ツンツンさくさくさく。
スプーンで氷を崩しては、ひとさじすくって食べる。ちょっとカッコ良かったのが羨ましかったのだ。
白状者と傾聴者は、同じ職場で長い付き合いの先輩と後輩の関係。去年「私の名前」を白状した先輩は、旧姓を附子山、現在の姓を藤森といった。

「やりたいなら、やれば良いだろう」
私だって、私をディスった筈の加元さんに執着されて追いかけ回される、あの酷い恋愛トラブルさえ無ければ、今の名字に改姓などしなかったんだ。
白状する先輩は小さくため息を吐き、そうめんなどを柚子生姜の薬味と合わせてちゅるちゅる。
「改姓の申請方法と必要書類、教えてやろうか」
なお「酷い恋愛トラブル」については過去作、前回投稿分にチラリズムしており、より詳細なハナシは5月24・25日に遡るが、スワイプがただ面倒。
細かいことは気にしてはいけない。

「名字は変えたくないの。コレのせいでイジられたこともあるけど、自己紹介でバチクソ役立ってるし、ぶっちゃけ個人的に気に入ってるの」
さくさくさく、しゃくしゃく。
傾聴者であった後輩は、なおも氷を崩し続ける。
はた、と個室の出入り口を見た。
どうやら追加注文していた料理が届いたらしい。

「お前の鉄板だったな。ウチの職場に入ってきたときも、自分の名前をネタにした」
「『何年経ってもずーっと後輩。
私の名前は高葉井 日向、コウハイ ヒナタです!』
……だって覚えてもらいやすいもん。便利」

「なら『私の旧姓旧名は』の自己紹介は無理だな」
「『実は』の秘密がある名前ってエモ」
「お前だってギミックはあるだろう。『高葉井』と『後輩』のダブルミーニング」
「まぁ、それね。……それね」

で、「コウハイ」、お前さっきからかき氷ばかり食っているが、そうめんそろそろ本当に伸びるぞ。
先輩の藤森はそう言って、淡々と、猛暑払う美味を堪能してから冷茶で喉を潤す。
後輩であるところの高葉井はピタリ手を止めて、そうめんを箸でつまみ、ちゅるり。
「ところで附子山先輩、例の恋愛トラブル、解決してホントに良かったね」
ぽつり呟いて幸福にそうめんを食べる後輩の声に、
「えっ?」
先輩たる藤森は顔を上げ、数度まばたきして、
「あぁ……ありが、とう?」
後輩から珍しく、下手をすれば始めて「私の旧姓(なまえ)」で呼ばれたなと、
少しだけ、唇を穏やかに、幸福につり上げた。

7/21/2024, 5:34:39 AM