【やりたいこと】
「宝くじ当たったらさぁ、なんかやりたいことってある?」
爆速でキーボードを打ちつつ、隣のデスクの先輩がそんなことを言い出した。
「もしかして、買ったんすか?」
俺も負けじと爆速でキーボードを叩きつつ、先輩に応える。
「十枚、大人買いしちゃった」
「それしきの枚数、大人買いとは言わないっす」
「あたしさぁ、絶対やりたいことあるんだよね」
「へぇ」
俺は気のない相槌を打つ。先輩のことだ、たぶんいつも通りの、ろくでもない会話になるんだろう。
「あたしが子供のころからアニメ化してほしいと思っていたファンタジー小説があってさ。それをアニメ化するために、アニメ会社まるごと買取りたいんだよね」
「夢がありますねぇ」
とりあえず、当たり障りのないことを言っておく。
アニメ会社まるごとなんて、宝くじの資金じゃ足りない気がするけど。普通に「このアニメ作ってください」ってお願いしつつお金を出すほうが、夢は叶いそうな気がする。
「あとさ、どっかのレトロな雰囲気のビルをまるごと買って、二階で喫茶店開くのもいいな、って思ってるの。いかにも趣味でやってるだけですって感じの、ヒマな喫茶店」
「で、アルバイトのちょっと生意気な女子高生に『オーナー、このままじゃお店潰れちゃいますよ〜ちゃんとやりましょうよ〜』とか言われたいんですよね」
「なっ、あたしの思考を読んだ!?」
「いやわかりますよそれぐらい。俺だってその願望はありますから」
先輩がごくりと喉を鳴らした。
「やはり、ライバルは多いみたいね……」
「いやライバルとかじゃなくて」
「あとさ、劇団付きの劇場をまるごと買取りたい」
「先輩だいたいまるごと買取りますね」
「で、劇場内でサスペンス的なことが起こるじゃん? その推理現場がクライマックスになったタイミングで、『皆さん、よくできましたねぇ、合格です』とか言ってゆっくり拍手しながら、黒幕の顔をしてゴンドラで登場してみたいんだよね」
「探偵役じゃないのかよ」
思わず素でツッコミが出てしまった。しかもゴンドラて。そもそもサスペンス的なことってなんだ。そんな物騒な夢を抱くな。そして黒幕になるな。
「君はなにかないの? 宝くじ当たったらやりたいこと」
「俺はただただ、この会社を辞めたいっす」
「だよねぇ。あたしもそれが大前提」
二人で同時に見やった壁の時計は、ちょうど一時を指していた。これは午後ではない。午前だ。オフィスにはもう、俺と先輩の二人しか残っていない。窓の外は真っ暗闇。いや、小さな明かりを灯しているビルもところどころにあって、日本の闇をさらに浮き立たせている。
「じゃあ、先輩の宝くじが当たったら、俺もいっしょに辞めるんで、いっしょに喫茶店開きましょうよ」
「出たな、ライバル」
「俺、こう見えてもコーヒーには一家言ありましてね」
「だよねぇ。君がときどき淹れてくれるコーヒー、独特の美味しさがあるもん」
「だから俺と先輩が組めば百人力――」
俺のセリフを遮るように、ッターン、と力強くエンターキーを叩く先輩。
「よーし、あたしのぶんの編集は終わった! プリントは朝イチでいいや! じゃあね! 君も頑張って!」
パソコンの電源が落ち切らないうちに、鞄と上着を引っ掴んで立ち上がる。そそくさ、と言わんばかりの勢いだ。
電車はとうになくなっている時間だけど、先輩はバイク通勤だから電車は関係ない。俺も自転車通勤だからこそ、この時間まで残っていられるわけだけど。
「そうそう、宝くじ、気合い入れて当てにいくから!」
オフィスを出る直前、先輩はこちらを振り返って、力こぶを作る真似をしてみせた。
「そういう気合いで当たるものではないっすよ……」
視線とツッコミだけで先輩を見送り、パソコン作業に戻る。俺の仕事も、もうすぐ終わる。残りの作業を明日の早朝に回して、いまから先輩を追いかけるのは、あからさまだろうか。
「俺のやりたいこと、ねぇ……」
二人きりのときに限ってろくでもない会話ばかりふってくる先輩を、どうにかしていい雰囲気の会話に持っていきたい、という野望を抱いて、はや一年。俺の「やりたいこと」は、今日も虚しく潰えたのだった。
6/11/2024, 2:15:02 AM