シシー

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「雨音が響いていますね」

 彼の手から滑り落ちた本は、派手な音を立てて水たまりに沈んだ。あんなに好きだと言っていたシリーズ本を拾おうとせず、私をみて口をパクパクさせて突っ立ったままだ。
 しかたないから私が拾って水を払ったけど中まで染みてしまってベタベタだ。タオルで包んで表紙を傷つけないようにしていると、彼は今にも泣き出しそうな顔で抱きついてきた。嫌だ嫌だ、と涙声で訴えるものだから訳が分からず彼を引き剥がして問い詰める。

 曰く、『月が綺麗ですね』のような意訳のある言葉を私が言ったかららしい。
『雨音が響いていますね』は『愛していました』となる。
日頃から本に執心して私のことを後回しにする彼にとうとう愛想を尽かしたと解釈し、慌てたのだとか。

 私は少し考えて、ふと自分が身につけているペンダントを外した。それを未だ雨が降る空に掲げて彼に聞こえるように大きな声で言ってやった。

「星が綺麗ですね」

 賢い彼なら分かるでしょう、と付け加えた。
ちゃんと伝わったのか顔を真っ赤にして謝ってきたので許すことにした。確かに本ばかり読んで私を後回しにするのは面白くないが、出会いのきっかけも私がここに立っている意味も本がつくってくれたのだ。嫌いになることなんてない。それに、真剣に本を読む姿も素敵だと思っているのだから変な心配しないでほしい。疑われるなんて心外だ。
 ゆらゆらとペンダントを揺らし、彼はなんて答えるのか待ってみる。きっと当たり障りのない定番の返しなんだろうな。

 少し落ち着いた彼は、袖を摘んで真剣な顔で囁く。

 ――…明けの明星がみたいです

 さっきまでの照れはどこへやら。
 今度は私の顔が熱くなる番のようだ。
 いつまで経っても彼には勝てないな。



             【題:やさしい雨音】

5/25/2025, 2:12:26 PM