「あ…」
この場所で、初めて自分以外の人を見た。
「あぁ、こんにちは」
穏やかに微笑む青年。
右手に持つ淡く灯る鬼灯が、彼が導の鬼灯様に関わる人だと告げている。
「あら、導の。鬼灯なんか持って、花の真似事?」
「そんなところです」
背後の彼女の不躾な疑問にも、導と呼ばれた青年の笑みは変わらない。彼の金に近い琥珀色の瞳は、優しさや愛おしさを詰めて揺らめいている。
「あの方の負担が少しでも軽くなれば、と」
「相変わらず、花は愛されてるのねぇ」
「身重の妻の支える特別に浮かれているだけですよ」
「やだ。惚気?」
揶揄い混じりの彼女の言葉に、青年は少し恥ずかし気に首を振った。
そのまま軽く俯いてしまった彼の耳が赤に染まっている。
「まぁ、導は縁を結ばない花に辿り着くくらい一途だったものね。愛があれば何でもって事かしら?」
楽し気に笑い、彼女は続ける。
流石にこれ以上はと、声をかけるより早く、顔を上げた青年が笑って否定した。
「何でも、は難しいです。僕に出来る事はほんの僅かですから。そのほんの僅かからおにさまにしてあげたい事をしているだけ」
揺らめく金を濃くした琥珀色が、真っ直ぐにこちらを射抜いて。
「ただ、望まれるのならば僕の出来るすべてを以って応えるつもりでいます」
「…やっぱり、惚気だわ」
告げた決意の言葉に、背後の彼女が息を呑んだのを感じた。呆れたような声音とは裏腹に、腰に絡みつく腕に力が籠る。
そんな彼女の様子に、青年は不思議そうに小首を傾げた。
「雨さまも同じでしょう?望まれるならば応えたい。違いますか?」
「違わないけど、」
望まれない、と。肩越しの微かな呟きが鼓膜を揺する。
どこか幼さを滲ませたそれに、何故だか気恥ずかしさを覚えて目を閉じた。
「…っ」
思わず、名前を呼びそうになり唇を噛み締める。
まだ、最初の恐怖を覚えている。
「どうしたの?翠雨」
「何でもない。そろそろ戻らないと」
「…そうね。五月雨がうるさくなるわ」
彼女の優しさに胸中でありがとうと呟いて、青年に会釈をした。
「僕も戻ります。また、機会があればお話してください」
「機会があれば」
最後まで穏やかだった青年の背を見送って、踵を返す。
彼女は背中に張り付いたまま。
不貞腐れているのか、落ち込んでいるのか。表情の見えないこちらからでは知る事はできない。
「ねぇ、翠雨」
「何?」
擦り寄られる肩口に吐息がかかり、くすぐったさに身を捩る。
「望みなさいよ。応えてあげるから」
繰り返される言葉。
何もないと口にし続けてきたそれ。
一つ息を吐いて、口を開く。
「怖いのも、痛いのも嫌だ」
臆病な自分には、これが精一杯だった。
20240517 『愛があれば何でもできる?』
5/17/2024, 2:40:47 PM