《どうして》
身分の差を、理解していた筈なのに。
この叫びは止まらなかった。
待ってくれ、と考えた時には既に放ってはならない音が口を衝いていた。体が動いていた。
愛だの恋だのとかいう感情ではない。だが、その女は俺の幼馴染なのだ。
だから、その想いを踏みにじって漸く成される未来など、存在してはならない。
俺が、絶対に赦さない。
「——その薄汚い手で触らないで貰えますか、シュレイト男爵」
強引に横から掴んだその腕は、奴隷商人として裏で栄えたばかりか男爵の位まで授かった男の腕だ。
富は莫大で、一代でここまで商業を発展させた者はなかったという。
だから、そんな男と幼馴染の婚約が金で成立した——してしまったのだ。
「アーノルド、やめなさい。この方は私の婚約者として正式に認められた。彼に無礼を働くということは、あなたの主たる私に無礼を働くことと同義よ」
「この男との婚約、エレオノーレ様が望んだことであれば心よりお祝い申し上げます。ですが、そうではない。その御心が踏みにじられない為ならば、私は幾らでも無礼を働きます」
いつもの通り、会話は平行線だ。
彼女の表情は焦っている。なにせ、昨晩寝る間も惜しんで俺にこの婚約を納得させようとしたのだから。
俺も一時は納得した。
だが、今朝方彼女の父親の話を聞いて、腸が煮えくり返った。
父親は、娘との婚約を条件に、莫大な資金と奴隷を手にしたのだ。それだけでなく、今後シュレイトに商いの売上の一割を永続的に貰うのだとか。
つまるところ、彼女は父親に売られたのだ。それも自身の知らぬ間に。
生憎と、それを知ってもなお、黙っていられる程のかわいい性格はしていない。
これは、仕方のないことだ。
そう割り切れたら良かった。
「おい、誰か! この不届き者を連れて行け!!」
「待って! 待って下さい、彼は悪くないの」
「大丈夫、躾られてないコイツが悪いんだ」
「彼は私の幼馴染よ!? お願いっ……」
恐らく、連れて行け、とは額縁通りの意味じゃない。率直に、殺せ、か。
薄く笑って、俺は彼女に傅く。
「貴女様の御心をお聞かせ下さい」
「アーニー……?」
「俺と二人で逃げないか、エレナ」
愛称で呼び合っている時点で主従関係としては問題だろう。隣で守銭奴が怒っているがどうでもいい。
「……アーニー」
「お前の答えが、俺は知りたいんだ」
手を取って真っ直ぐ目を見ると、
「私は——貴方の隣が、一番好きよ。昔から」
聞きたかった言葉が彼女の口から零れた。
それでいい、十分だ。
返事も何もなく、俺は彼女の手を引き屋敷を飛び出て、裏門へと走る。
「……これ、もしかして計画の内なのっ?」
「どうだろうな。エレナ、馬乗れるか?」
「乗れる! ……みんなも知ってたの」
追っ手が来ないのは当然、この屋敷の主以外全員が彼女の味方だからだ。
それぞれ馬に乗り、開かれた門を駆け、森に出る。
「ねえっ……どうしてここまでしてくれるの?」
「言わせんなよ、恥ずかしい」
「どうせ貴方のことだから、あたしが好きとかそういうことじゃないんでしょ」
「なんでわかんだよ」
「幼馴染、何年やってると思ってるのよ」
懐かしい会話だ。久しぶりの「あたし」だな。
「なんとなく、だな」
「なんとなくでお父様に逆らわないで……勢いで飛び出したのなら兎も角、計画がありそうじゃない」
「……幼馴染だからな」
それが最初の質問に対する答えなの、と呆れるエレナは、次の瞬間破顔した。
「照れてるし!」
「照れてないっつーの! ほらほら早く行くぞ、待たせてんだから」
「やっぱり計画あるのね。ずっと考えてくれてたんだ……! アーニー」
「ん?」
「本当に、ありがとう」
「幼馴染のよしみだよ、気にするな。エレナ」
1/15/2024, 9:45:20 AM