すべてが燃えている。
屋敷も、大地も。余す事なく燃やし、炎は上がる。
懐かしさすら感じられる焼けた匂いに、僅かに唇を歪め。されどその刹那、背後の気配と頸筋に当てられた鉄の刃の冷たさに、それ以上の動きを止めた。
「私の箱庭に客人とは。珍しい事もあったものですね…何用だ、娘」
凍てつく響きを抱くその声に、黙する事で答えとし。その沈黙を是としない箱庭の主は手にした刃を一度下ろし、重ねて問う。
「動くな。答えよ。何故この箱庭に訪れた」
呪を乗せた言葉。抗えず言葉を紡ぐ。
「かくれるために」
くつり、と喉を鳴らした笑い声。次いで背に感じる衝撃に、一呼吸遅れて術が斬られたと理解した。
「他者の隠れ蓑として使われるのは本意ではありませぬ。あの男の血に近しい者には特に」
そのまま切り裂かれ、内の『私』を引き摺り出されて。箱庭の主の眼前に晒される。
黒く焦げた赤子。この異様な姿を見、果たして何を思うのか。
「随分と醜悪な見目をしているものですね。斯様な泥人形を使ってまで逃げ出し、生にしがみつくか」
冷たい深縹の瞳が嘲るように歪む。
見当違いのその言葉に、だが否定する術はなく。
「あの男の社に貴女の亡骸を捨置けば、どんな表情を見せて下さるのでしょうか。悲嘆に暮れるその様を眺めれば、この身に燻る憎悪の炎も幾分かは鎮まるのでしょうか」
否定したとして、先の結末が変わる事もなし。
なればいらぬ労苦を負う事もない、と黙したままこの終わりを待った。
「私も侮られたものですね。この箱庭を見つけ出す繊細さは確かなものですが、所詮はそれだけの事。過去に囚われた意思なき化生と断じるなど、実に愚かしき事か」
綻び。視た結末とは異なる言葉。
僅かに目を見開けば、気を良くした箱庭の主に抱きかかえられ、手で視界を覆われる。
「聞いた事があります。鳥籠で眠る双子の話を。あの男以外には認識されない、半身を守る鳥籠を創り上げた姉がいることを」
視界を覆う手を通し、眼を奪われる。視たものすべてを見られていく。
「鳥籠が開けられ、認識された。先に待つは新たな鳥籠で飼われるか、生を歪められるか…哀れなものですね。終わりを願うものに永久を求めるなど」
くすくすと愉しげな笑い声が響く。
すべてを見終え、覆う手が外されて。
「気が変わりました。貴女を生かす事にいたしましょう…丁度童遊びにも飽いていた所です。この箱庭を終わらせ、時を進めましょうか」
気づけば辺りを焼き尽くす炎はなく。果てない星空が続く草原に二人きり。
「まずは自己紹介を。満理《みつり》と申します。かつて死の淵より掬い上げられ、されど棄てられた。土蜘蛛の成れの果てにございます」
ゆるりと笑みを浮かべ。深縹が揺らめいて。
緩やかに落ちていく意識に、何処か落胆した思いを抱えて目を閉じる。
「暫し眠りなさい。その身が癒えるまで。苛む痛みが消えるまで」
結局は終わる事は許されないのか。
選ばれたのは、求められたのは片割れなのだから、静かに捨置いてくれれば良いものを。
「私の箱庭を終わらせるのですから、その対価に貴女もそれ相当を差し出さねばなりますまい。貴女のその終わりを願う思いを終わらせる事で、吊り合いといたしましょう…恨むなれば、私の元へ来た己の選択を恨む事です」
その言葉には何も反論できず。
致し方なしと、諦めて落ちる意識に身を委ねる。
永い現が始まった。
20240716 『終わりにしよう』
7/17/2024, 2:21:46 AM