すべて物語のつもりです

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「泣かないよ。あんたなんかのために泣いてやんないから。」
 乱暴な言葉を吐き捨てた唇はかすかに震えていた。
 思わず笑いがこぼれると、彼女はこちらをギロリと睨む。鋭い視線を向ける大きな瞳には、溢れそうなほどに涙が溜まっていた。
 そんなこと見なくても見えているよ、と言いたげに夫は頬を緩めた。顔からお肉が削げ落ちてしまったせいで、その表情はとても歪なものとなっていたけれど。
「泣いてくれたっていいじゃないか。」
 声は掠れていたけれど、夫は楽しそうだった。
 彼女は、娘は、それが気に入らないのか、精一杯の冷たい視線を夫に向ける。
 お医者さんや看護師さんの手前、わたしは母として彼女を叱らねばならなかったのかもしれないけれど、唇の隙間からは笑いしか漏れない。
 一歩後ろで静観している彼らに、わたし達家族はどう映っているのだろう。
 家族の死に直面して頭がおかしくなってしまったか、気が狂ってしまったか、それともとんでもなく冷徹な人間だと思われているのだろうか。もしそうならば、今すぐに唇を一の字に結んで、懸命に涙を浮かべた方がいいのかもしれない。そんなことを思っていても、顔の筋肉はなかなか締まってくれなかった。
 笑みを浮かべたままの両親に娘は我慢の限界が訪れたのか、一粒、また一粒と涙を落とし始めた。
「死なないでよ。」
 娘の声は先程の夫の声よりも掠れていて、きっと後ろの彼らには届いていないだろう、それくらい小さかった。
 夫は、今度は眉を下げた。そればかりは聞いてあげられないな、と言うように。
 わたしは顔の筋肉に働くように命じた。決して、この口角が下がってしまわないように、涙が流れてしまわないように、と。

3/17/2024, 10:19:01 AM