よし、小さく呟いた声は誰にも聞こえない。立ち上がって向かうのは彼女のもと、今日こそは「おーい、いる?」そろりと開けた扉から窺うように部屋に入る。声に気づいた彼女は顔をあげ、おつかれ、とひとこと「忙しい?」「ん?いや、もう帰ろうとしてたところ」制服に着替えた彼女の手元には部誌「あ、もしかして最後?ごめん」閉めなきゃだもんね、と慌てて片付けを始めるので「あ、いや、ゆっくりでいい」彼女の近くまで駆け寄る。制汗剤の香りは俺たちのものと違い、フルーツのような甘い匂い「スガと澤村は?」「あ、もう帰ったよ」先に帰れと言ったのは俺だけど、とは言わず、確かにいつも一緒に帰っているから聞かれるのは当たり前だろう。変に思われるかも、と苦笑いが溢れる「残り、東峰だけ?みんな今日早くない?」「そんな日もあるよ」あんなに意気込んだ割に全然きっかけが掴めなくて、いつも以上に会話がぎこちない気もする。大地の呆れた声が聞こえる気もする「東峰、鍵取って欲しい」「あ、あぁ、悪い」手慣れた様子で体育館を閉める作業を進める。大きな体育館にはたった二人「ねーえ、東峰!これ、誰のだろう」「西谷のタオルだな」「はあ、洗ってやるか」「いや、待って」当たり前のように自分のバッグに西谷のタオルを突っ込む彼女の手を思わず掴む。目を丸くした彼女に、自分がしでかしたことに気づき次の言葉に詰まる「ど、したの」「あ、のさ…ちょっと嫌だなって」思わず彼女から視線を外し、掴んだままの腕も離すタイミングを見失う「東峰…?」こちらを覗き込む彼女の視線にひとつ呼吸を整える「好きな子が別の男子の私物持って帰るの、嫌だなって」「え、と」「急にごめん。好き、なんだ」まっすぐに見つめる俺の瞳に応えるように頷いた彼女の顔も真っ赤で、夢みたいだと呟いた。
君の目を見つめると
4/6/2024, 6:25:11 PM