入りますよ――と扉を叩くと、中から意味の読み取れないものすごく短い返事が返ってくる。経験からそれが肯定を意味することが分かっているので、肘でノブを動かして体で押し開ける。そして体のむきを変えて、俺は返事が曖昧だった理由を知った。
腰のあたりに放置された端末、こちらに背をむけて横たわったあのひとの小さく見える背中。そして今日の日づけ。それらの集積が、目の前の光景が何を意味しているのかを示していた。
「コーヒー、持ってきました。飲めますか?」
「ん――」
ごろりとあのひとがうつぶせになって、首だけでこちらを見る。
「甘いのがいい」
これもまた少しは予想できていたことなので、すぐに戻る旨のことを告げてから部屋を出て、同じ階の細々としたものを置いている部屋から、あのひとのお気に入りの砂糖のスティックをわし掴みにして部屋に戻ると、あのひとは起きあがってカップを手に、息を吹きかけながら待っていた。俺はベッドの縁に腰かけると、持ってきたスティックを彼女の前に置き、頬に唇をつけると黙って部屋を辞した。
こういうときのこのひとへの妥当な対応は、黙ってそばにいるか、黙って立ち去るかのどちらかであることが多い。今回は後者だろうという判断によるものだった。
「ご苦労」
戸の前で声をかけられ、俺はほんの少し頷いた。
「ヴィオラさん。夕飯、ごちそうにしますね」
ノブを掴んで押しこむ。
「余計なことはしなくていいが。美味いものは食べたいな」
その言葉を背中で聞いて、後ろ手に扉を閉める。
「ふふ、」
笑みが浮かぶ。
ゴーサインが出た。だから。
――覚悟してくださいね、僕の本気。
俺は冷静さを自分の顔に貼りつけると、空いた盆を手に事務所へと降りていった。
「――」
ちょっと拙い方向に誘導してしまったかな、と砂糖を入れ終えた私は扉のむこうから伝わってくる気配に身震をする。こういうときのカルはとどまるところを知らない。
まあ、ああいう暴走を受け止めてやるのも、あれを煽りつづけてきた私の役割かもしれない。それにしたって。
「あれをああいう風に育てたやつの家族。一体どういう教育をしてきたんだか」
そうつぶやくと、私は冷めつつあった甘すぎるコーヒーをすすった。
9/27/2025, 9:42:38 AM