薄墨

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溺れているネズミに希望を見せると、見せなかった時よりもずっと長く“頑張る”らしい。
生物にとって、可能性がある、という希望は、惨たらしいほどに、生の執着を繋ぎ止める鎖らしい。

傷痕と瘡蓋だらけの肌を見る。
塞がりかけた瘡蓋さえ掻きこわしてしまうほど、堪え性のない人間になったのは、いつからだったろうか。

読むのを断念した小説が、開きっぱなしで置いてある。
おしゃれをしてみようかと引っ張り出した服は、結局、ぐちゃぐちゃに放りっぱなし。
勉強しようと思って買ったペンは、ピカピカのまま床に落ちているし、好きだったゲーム機は、厚く埃を被っている。

疲れているのか、無気力なのか分からない。
ただ、ひたすらに、何をする気も起きなかった。
軽汽水を飲み込んだような冷たさが、ただあった。

時折、何もしていないことが、頭を締め付けてくる。
何もする気なんて起きないのに。
体も心も、もう動きたくないと言っているのに。

もうダメなんだと思う。
人の声すらうるさくて、ずっと部屋に篭っている。
薄暗い布団の中で、太陽の光さえ眩しくて、どうしようもない。
今の生活は、人間の生き方ではないと思う。

ただ、薄暗い部屋の中で、ぴくりとも動かずに、ぼんやりとインターネットの赤の他人のインプレッション数と、友人の投稿のインプレッション数だけを稼ぐ。
そんな生活をずっとしている。

終わってしまったのだ。
ずっと昔、小さい頃から耳にタコができるほど注意されて来た悪癖が、人生で一番出てはいけないところで出て、私は、仕事も生き甲斐も失った。
家族もいなくなり、貯金も無くなった。
唐突な終わりがやってきたのだ。自分のクソみたいなミスで。
100パーセント、自分のせいで。

生活保障金が出て、誰かのお金で生きているくせに、何もする気が起きない。
そんな自分に、ただ漠然と憎しみが湧く。
諦めも湧く。
私はもう終わっている。もう死んだ方がいい。

私の友人は、みんな私に優しかった。
「大丈夫」
「あなたのペースで良くなれば良いんだよ」
「生きてるだけで偉いよ!」
「そんな時もあるって!」
みんな、笑ってそう言い、私の身の回りの世話をして帰っていく。
いつも、こまめにメッセージを送ってくれる。
遊びに誘って、外に連れ出してくれる。
美味しいものをご馳走してくれて、楽しいことに誘ってくれる。
何もできない、何も返せない私に、当たり前のようにやさしくして、帰っていく。

それが、どうしようもなく辛い。
私は何もできないのに。生きているから友達に迷惑をかけているのに。一向に体が動こうとしないのに。

生きて、考えていくだけの設備を整えていく周りが、とても憎らしい。

やさしくしないで。
もう水を張ったビーカーの中に落ちているような私に、友人が用意してくれる普通の生活や、ちょっとした贅沢という希望は、私にはもはや手が届かない助けで希望なのに、だからこそ、それで私は永らえる。
溺れ死のうとするハツカネズミみたいに。

水の中で足掻くのは辛い。
苦しくて、悲しくて、恐ろしくて、辛い。

それでも、それでも。
友人みんなのやさしさが、幸せが、私のために用意してくれた希望が、私の手の指に掠めるように、垂らされている。

それで、私は足掻いてしまう。
希望のために、友人のために。

でも、その足掻きも辛くて、もう苦しい。
だから。
だから、やさしくしないで。
私は罰当たりにも、そう思ってしまう。

私は薄暗い部屋でうずくまったまま、ただ画面を垂れ流し続けている。
友人のメッセージが、今日も画面に写し出されている。
私はそれの上でなんども目を滑らせる。
もう生きていたくない、息を吸いたくない。
そう思いながら。

私なんかにやさしくしないで。
やさしさが、希望が、苦しい時間を永らえさせる。

私はうずくまったまま、ブルーライトを浴び続ける。
ブルーライト越しの、やさしさを、希望を、浴び続ける。
水に浸かったまま。

空は、今日も青くて、眩しすぎる。

2/3/2025, 1:56:56 PM