埜日人

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これはきっと自己満足だ。
どこまでも往生際の悪いエゴの成れ果てなのだ。

男は今この瞬間、ある禁忌を犯そうとしていた。

それを実行に移すため、男は目の前に横たわる女の身体に乾燥した朱色の葉を散らし、びっしりと文字が書かれた紙を女の口に挟み、最後にその額に手を当てた。

女はとても綺麗な死に顔をしていた。
寸前まで病に身体を蝕まれ、痛みに身悶えしていたとは思えない程、安らかな眠りについていた。

だからこそ死という実感が男の頭には湧かなかった。

明日になれば目を覚ますのではないか。
明日になれば、明日になれば、明日になれば……。

幾度となく明日への期待を繰り返し、そして落胆する。

当たり前であろう。女の脈は既に途絶えており、れっきとした死人であるのだから。

男はどうかしていた。
愛すべき人を失った今、自分がやるべきことを探していた。

誰から聞き付けたのやら、男はとある噂を耳にした。


〝死人を生き返らせる方法がある〟


突如として、手を当てていた女の額にルーン文字のようなものが浮かび上がり、青白く発光する。

儀式が成功したのだ。

男は黄泉がえりの儀式を知ったときと変わらぬ、いやそれ以上の喜びで胸がいっぱいだった。

もう一度、もう一度だけ彼女の姿を、この眼に。

ぱちり、と女の両眼が瞬いた。
金糸雀の羽根の色に似た瞳が男の姿を捉える。


「……だぁれ?」


そこに男が愛した女の記憶は残っていなかった。

大抵の死霊魔術を使用するにあたる要因というものは、大切なものの死である。

人は愛故に盲目であり、時にその愛情は凶暴なものとなる。
そんな行き過ぎた愛の行く末ともいえる死霊魔術には、代償が伴うのだ。


それは〝術者の記憶すべてが初めからなかったことになること〟。死人と術者は初めから出会ってなどいなかった、それどころか死人が生きた証とも呼べる記憶が消去されてしまうのである。

だからこれは二度目の初めての出会いだ。


「俺は…ちょっと通りすがっただけの村人だよ。それよりこんなところで居眠りなんてしていたら風邪引いちゃうよ」

「……え、わたしいつの間に寝ていたのかしら。なんだか記憶も曖昧な気がするし…あ、あれ、わたしの、名前が思い出せない、なんで…?」


初めから全てやり直そう。
気持ちの悪いほど純情で狂気を孕んだ愛情。

女にかつての記憶がないとしても。
あの日々をともに過した女とは別人になってしまっても。

それでもいい。
ずっとはなればなれのまま生きるなんて耐えられない。

だからこれは全部、俺の自己満足。



#はなればなれ

11/16/2023, 1:13:31 PM