真岡 入雲

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【お題:本気の恋 20240912】

「ねぇ、本気の恋ってなんだろう?」
「何よ突然。彼氏にでも言われたの?」
「そうじゃないんだけどさ、これ⋯」

親友が居酒屋チェーン店のテーブルの上に出したのは、一冊の本。
タイトルは『43歳、武藤 綾。本気の恋をしました。』。
なるほど、本気の恋、ね。

「これを読んで、本気の恋ってなんだろうって?」
「うん」
「ふーん」

本を手に取って、パラパラとページをめくる。
活字が踊るその紙からは、まだ真新しいインクの匂いがした。
親友の由美は流されるタイプ、というか、流されに行くタイプだ。
自分の意見を持っていない訳では無いが、意見を通すために人と争うのを嫌厭する。
私はその反対で流されないタイプ、自分の意見はしっかり言うし、それによって争う必要があるのなら躊躇せずに争う。
そんな私たちが親友でいられるのも不思議ではあるんだけど、かれこれ十年近く一緒にいる。

「由美、ひとつだけ言っておくわ」
「な、何?」
「あなたは相談相手を間違ってる」
「えっ?」
「生まれてこの方誰かを好きになったことの無い私に聞いたところで、すぐに答えが返ってくるはずないじゃない」

そう、自慢ではないが生まれて25年、彼氏いない歴=年齢、ついでに初恋もまだの人間に聞くことではない。
むしろその辺は私より由美の方が詳しいのではないだろうか。

「うぅ⋯⋯、でもこんな話できるの明子ちゃんしかいないし」
「ふぅ、仕方ないわね。この本借りていいの?」
「⋯⋯うん!」

誰にでもわかるほど嬉しそうな顔をして、頷いた由美に毒気を抜かれ、私は手にしていた本を鞄にしまった。
今日は金曜日、明日明後日は休みだ。
死ぬほど暑かった夏もどうにか過ぎて季節の変わり目を迎えている。
湿度の減った心地よい空気を感じながら読書をするのも悪くないだろう。

「そうねぇ、来週は時間とれる?」
「来週⋯⋯平日なら」
「金曜は無理?」
「あ、うん。出来れば避けたいかな。旅行の準備したいから」
「旅行?⋯⋯あぁ、三連休か。彼氏とどこか行くの?」
「あー、うん。向こうの実家にご挨拶に⋯⋯」

挨拶⋯⋯ね。

「おめでとう、って言っていいのかな?」
「⋯⋯ははっ、どうだろう?」

全くこの子は。

「水曜日はどう?うちは残業なしの日だから、今日よりも早く約束できるよ」
「あ、うん、私も大丈夫」
「じゃぁ決まりね。店は、私が探しておく。決まったら連絡するわ」
「うん、よろしく、明子ちゃん」

その後いつも通り、好きなものを飲んで食べて、22時過ぎには由美と別れた。
家に帰る前に近所のコンビニに寄って、ペットボトルの紅茶とスイーツを買う。
日々自炊して頑張っているので、週末のプチ贅沢くらいは許していただきたい。
1LDKの部屋に帰り、紅茶とスイーツを冷蔵庫へ。
服を脱いでシャワーを浴び、一日の汚れと疲れを落とし缶ビールを片手にリビングのソファに深く腰かけた。
開け放った窓から吹き込んでくる夜風が気持ち良い。
テレビの電源を入れて、ニュース番組にチャンネルを切り替えた。
アナウンサーの声を聴きながら、ビールを開け1口飲むと自然と息が吐き出される。

東京都内の外れ、会社まで電車1本、通勤1時間圏内。
周りに高い建物の少ない、駅近くのオートロックマンションで周りの目に晒されない高さの部屋。
広さは広いほど良いが、家賃の上限は給料の3割まで。
この厳しい条件で見つけたこの部屋は、私が唯一息を抜ける場所。

「さて、触りだけでも読むか」

由美から借りた本を手にし、表紙を眺める。
作者は、最近よく耳にする人物だ。
確か何年か前に大きな賞を取っていたような気がする。
シンプルでいて印象深い表装と、誰かの感想が書かれた帯。
そう言えば、ハードカバーの書籍を読むのはいつぶりだろうか。
大学卒業以来のような気がする。
今ではすっかり、電子書籍ばかり買って読んでいるから、この感覚が懐かしく感じる。
奇妙な感覚を覚えながら、私は本の表紙をめくり、『武藤 綾』の世界に足を踏み入れた。



「ふわあぁ、よく寝た」

結局、ちょっとのつもりが全部読み進めてしまい、気がつけば朝になっていた。
読み終えた本をテーブルに置いてベッドに潜り込んだのが6時過ぎ、そして今は昼の2時。
いくら休みだからと言っても、これはどうなのだろうか。
とりあえず、顔を洗って洗濯機を回し、その間に部屋の掃除をする。
掃除が終わって、洗濯待ちの時間に昨日買ったスイーツを食べつつ、また本を手に取った。

本の内容は一人の女性とその家族の物語。
子供の頃から両親の言いなりだった主人公、武藤 綾は、大学在学中の20歳で結婚する。
相手は父親の知り合いの息子で綾より4つ年上のエリートサラリーマンで所謂、政略結婚。
入籍後、相手の会社近くのマンションで暮らし始める2人だが、家のことは全て綾の仕事だった。
学業と家事と忙しい毎日を過ごす綾だが、今まで母に教育されてきた事もありしっかりとこなし、文句のひとつも言わなかった。
大学を卒業した綾は友人の親の経営する会社に入社した。
父や夫は反対したが、母と友人が後押ししてくれた。
社会に出て働くことは、綾のためでもあるし、2人のためでもあると。
結局夫は今まで通り家のことをするのなら、との条件で働くことを許可した。
就職したその年、綾は妊娠し長男を産む。
夫が子育てに協力することはなく、綾は家事に子育てに大忙しだった。
結婚して20年以上の月日が経ち、綾は3人の子育てと仕事、そして家事をこなしていた。
子供達も大きくなり、手がかからなくなった今、やっと少しだけ自分の時間が取れるようになった。
夫とは恋愛のれの字もなく、ただ一緒になった。
20年も共に暮らしていればそこに情は生まれるが、それが恋愛のそれではない事は綾にもわかっていた。
子供も3人生まれ、少なからずそこに自分の幸せはあったのだが、周囲の同じような家庭とは違う自分の家庭。
そしてこの先、一度も恋愛することなく一生を終えるのか、というなんとも言えない絶望にも似た感情が綾の中で渦巻いていた。
そんな綾の世界を街で出会った1人の男が変えていく。
そして綾は自分が思う何者にも縛られない自分の人生を歩むために、夫と別れる、そんな物語だ。

「⋯⋯⋯他にどんな本を出してるんだろう」

作者名で検索すると、7冊ほど結果が出てきた。
そしてそのうちの1冊を購入し、私はまた活字の世界にトリップした。


「明子ちゃん、大丈夫?」

私の顔を覗き込み心配そうな顔をしている由美にヒラヒラと手を振ってみせる。

「単なる寝不足よ。気にしないで」
「そう?」

今日のお店は焼き鳥が美味しいと評判の店。
入店したばかりなので私と由美の前にはおしぼりとお通ししかないけれど。
とりあえず、飲み物と焼き鳥の盛り合わせと店員さんのおすすめを三品ばかり頼んで、先週に続いての女子会(参加者2名)開始です。

「はい、これ。返すね」

借りていた本を入れた紙袋を取り出して由美に渡す。
結局あの後、同じ作者の作品を大人買いして読み漁ってしまったため、ここの所睡眠時間が2時間とかで寝不足な私。

「どうだった?」
「うん、面白かった。で、由美はこの主人公に自分を重ねてしまったと、そういう事ね?」

由美がこくりと無言で頷いたところに、オーダーした飲み物が届いた。
私と由美はグラスを持って、小さく乾杯し喉を潤す。
明日も仕事なので、今日はお酒は控えめに、だ。

「えーと、付き合って1年だっけ?」
「1年と3ヶ月、かな」
「会社の2つ上の先輩」
「そう。社内でも人気のある人で、今度昇進するんだって」
「出世株ね。向こうから告白されたのよね?」
「うん。前の彼氏と別れてすぐの飲み会で、彼の事思い出して泣いてたら⋯。きっと同情されて⋯⋯」
「前の彼も会社の人だったんだっけ?」
「そう、同期だった。彼は会社辞めて海外に行っちゃったけど」
「アフリカだっけ?」
「そう。一攫千金を狙うとか言ってた」

話を聞く限りおかしな所はないと思う。
後は由美の気持ちだけだと思う、そうこれはきっとまた流されているだけだと思う。

「本気の恋っていうのがどう言うものか、だったわよね」
「そう。ずっと考えてたんだけど分からなくて」

運ばれてきた焼き鳥を持ち上げる。
炭のいい香りとタレの艶が食欲を唆る。
ぱくりと1口、口に含み、ゆっくりと咀嚼する。
鶏肉のほど良い弾力と、じゅわっと染み出る肉汁が堪らない。

「考えるから分からなくなるんじゃない?」
「えっ?」
「私は経験がないから分からないけど、でもあの本を読んでわかった事は、恋って考えてするものじゃないってことね」

いつの間にか、とか、気がついたら、とか、恋に落ちるとか表現されるくらいだ、考えてするものではないのだ、きっと。
ならば本気の恋っていうのも同じ、考えてするものではないはず。

「それにさ、本気かどうかなんてすぐには分からないんじゃない?」
「そう、かな」
「そうよ。後に振り返った時にわかるんじゃないかな。今時点で本気の恋だって思うのは、多分その恋に溺れているからだよ。本気かどうは冷静な時に見極めないと」
「⋯⋯⋯⋯でも、そうすると本気の恋をして結婚するのって難しくない?」
「まぁ、そうね。でも本気の恋じゃないから幸せになれないなんて誰が言ったの?」
「えーと」
「結果的に幸せになった、本気の恋だった。それでもいいんじゃないかな、と私は思うよ」
「そっか、そうかな」
「そうだよ。それと、はい、コレ」

私は鞄から一冊の本を取りだし、由美に渡す。
昨日の帰りに本屋で購入したものだ。
ちなみに私は電子版で持っている。

「『幸せな恋の仕方』?」
「あげるから、読んでみて」
「うん、わかった。ありがとう」

私は由美には幸せになって欲しいと思っている。
好きとか嫌いとか、そういう次元の話じゃなくて、私の人生には由美が必要だと思うから。
だから、きっと流されるであろう事を予測して、迷いながらも好きな人と共に一生を歩んでいく主人公を綴った内容の本を渡す。
私の親友のこれからが、幸せでありますようにとの願いを込めて。


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(´-ι_-`) 『43歳、武藤 綾。本気の恋をしました。』を書くかどうかで迷った。



9/13/2024, 5:19:57 AM