薄墨

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口語自由詩。
ノートに、そう書く。

良いデタラメって難しいものだ。
文章にしても、絵にしても、言葉にしても、何にしても。

水。
銀紙。
エビフライ。
ネズミの尻尾。

腕を動かして、とりあえず言葉を並べる。
とりとめもない言葉。とりとめもない話。
役に立たない。実用性のない。とりとめもない。
でも、意識的にしようと思えば、それも難しい。

とりとめもないは難しい。
何にしたって。
理解するのも、作るのも。

でも、理解はしなくていいはずだ。
だって理屈で説明できるのなら、説明文で良いから。
理屈では、言葉では説明できないものを、感覚でわかってもらうために、人はとりとめもない話をするのだ。

とりとめもないことを書くのだ。
そして、それは芸術になる。

そんなことを考えながら、私は今日も、ペンを取る。
今までの話をまとめると、私は芸術とは“とりとめもない”ことだと思っているかもしれなかった。
絵や詩を見た時に、最もらしい講釈をインテリ気取りで必ずする人にうんざりしながら。
芸術に意味を見出そうとする人間に、憐れみを感じながら。
こう書くと、文は意味を持つ。
とりとめもないは失われて、私は「あーあ」と思う。

とりとめもないは難しい。
特に雑談っていうものは、その中でも一番難しい。
雑談というとりとめもない話は、とりとめのなさを一人じゃ完結できないから。
合作なのだ。あれは。

とりとめもない話は難しい。
昨日友達としたぎこちない雑談や、スマホの画面に表示されているLINEの画面を見ながら、心からそう思う。
とりとめもないは一人の方が、ずっと楽に完成できる。
意味のない会話は、私には難しい。

だから、誰とでもとりとめもない話ができる友達が、私は羨ましい。
友達のあの子が、私の成績や描いたものを見て、「羨ましい」というのと同じくらいに、私はあの子が羨ましい。

たくさんの人と、とりとめもない話をして、意味はなくても何かは分かり合える、あの子が。

すごいと思う。

口語自由詩。
私はノートに書く。
雑談の方が難しい。
あの子には言わない、そんなことを思いながら。

12/17/2024, 9:28:44 PM