共存と両立

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私は言葉を扱う。
これは私が作ったものではなく、先人たちが作り出したもの。
最近の人間が、珍しい言葉を話したとて、それは先人たちが既に用意していたものを見つけただけのこと。
だけど私達はなぜか、まるで新しいものを発見したかのように、彼等の発した言葉を賞賛する。
どこかで聞いた事のあるような言葉であっても、そのことは誰も口にはしない。

人々が素晴らしいと賞賛する言葉を、私は空虚な思いで聞いている。
それを、誰かは嫉妬と呼ぶだろう。負け惜しみだというだろう。

そうかもしれないけれど、私はその言葉を聞きたくないから、口を閉ざす。あたかも、どこかで聞いた言葉を紡いで、賞賛されるのを望んでいるようで吐き気がする。

せっかく先人たちが作ってきた美しい音をした言葉たち。
それらは改良の余地が無いほどに完成されている。

にも関わらず、それを超えるどころか、人間はそれらを上手く使えない。
拙い言葉を振り回し、あろうことか他人に嘘を教え、騙す。
しかも人は、その言葉を簡単に信じた。

結果、疑心暗鬼に陥り、心を病み、自分の本当の言葉を忘れる。

愚かで愛しい人たち。

他人の言葉は、聞かなくていい。
疑うのは、自分の言葉。

自分が他人に発する言葉こそ、それは自分に向けられた真実の言葉。

他人を賞賛するなら、それは自分にも返ってくる。
他人を罵倒するなら、それは自分にも返ってくる。

すべてはそのバランス。
賞賛しかない人生は空虚で、罵倒しかない人生は哀れだ。

けれども、
そんな自分の発する言葉に誰かの言葉が返ってきた時

その時感じる喜びも、悲しみも、怒りも、全てが正しいものとなるだろう。


9/8/2024, 3:57:14 AM