〈欲望〉
近所に、新しいラーメン屋ができた。
オープンから三日間、店の前には長い行列が続いた。
朝の散歩がてら前を通ると、まだ十時にもなっていないのに、もう十数人が並んでいる。みな若い。スマートフォンを手に、開店まで黙々と待っている。その横を、私はただ通り過ぎた。
夕方、妻に話した。
「あのラーメン屋、今日も並んでたよ。十人以上」
「へえ。食べてみたい?」
「いや、別に」
妻は少し笑って、「若さなのかもねえ」と言った。
その一言が、夜になってもなんとなく頭の中に残っていた。
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思えば、三十代のころは違った。
あの店が旨いと聞けば、休日の昼に車を飛ばした。限定品があると聞けば、朝から並ぶことも厭わなかった。
手に入らないとわかった瞬間に燃え上がる、あの感覚。欲しいものは、どうにかして手に入れなければ気が済まなかった。
仕事もそうだった。昇進したかった。評価されたかった。同期の誰より早く、上へ行きたかった。会議で発言するとき、いつも頭のどこかで、自分をよく見せようと計算していた。
それが、いつのまにか薄れていった。
四十代のどこかで、ふっと火が小さくなるような感覚があった。
強さが失われたわけではない。ただ、燃え方が変わった。何かを奪うような燃え方から、ゆっくりと温めるような燃え方へ。
今の私には、行列に並んでまで食べたいラーメンがない。
それが欲のなさなのか、達観なのか、それとも単なる老いなのか、自分でもよくわからない。
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週末、妻と近くの商店街を歩いた。
目的があったわけではない。ただ、天気がよかったから出た。
妻は八百屋の前で立ち止まり、ごぼうを一本手に取って「今夜、豚汁にしようか」と言った。
「いいね」と私は答えた。
それだけのことが、なぜか満足だった。
豚汁が食べたかったわけでもない。妻がごぼうを選ぶ横に立っていた、ただそれだけのことが。
三十代の私が見たら、どう思っただろう。こんなことで満足しているのかと、笑うだろうか。
でも、あのころの私が手に入れようともがいていたものの、どれだけが今も手元にあるだろう。
限定のウイスキーも、役職の名刺も、競い合うように買った時計も。形として残っているものはあっても、あのときの熱はどこにもない。
逆に、今の約束は、今夜ちゃんと果たされる。
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妻が「若さなのかも」と言ったとき、否定する気にはなれなかった。
おそらくそうなのだと思う。
あの行列に並ぶ若者たちの中には、確かに何かが宿っている。まだ何者でもないゆえの焦り、手に入れることで自分を確かめたい衝動、世界が広く見える感覚。
それは若さの特権だ。そして、そういうものを私はもう持っていない。
けれど、喪失とも少し違う。
欲望が消えたのではなく、欲望の輪郭が変わったのだと思う。
かつての欲は、外へ外へと伸びていた。もっと遠くへ、もっと高くへ、もっと多くへ。
今の欲は、どちらかといえば内側にある。静かで、地味で、けれど確かなもの。
妻と食べる豚汁。朝の散歩で見る川の光。読みかけの文庫本の続き。
それだけで、心は満たされる。
行列のラーメンが、旨いかどうかは知らない。
でも、きっと旨いのだろう。そしてそれは、今の私には関係のないことだ。
窓の外で、風が木の葉を揺らしている。妻が台所で野菜を刻む音がする。
私はただ、それを聞いていた。
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行列並ぶ体力もなくなりましたね……ちょっとお昼を、と思って出かけるも、行列見て退散してしまうこの頃です(´・ω・`)
老いなんだろうねぇ(´・ω・`)
3/1/2026, 11:28:01 PM