偶奇数

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 なんとなく手を伸ばしかけた。そしてそれが叶わないことを知った。

 有り体に言えば一目惚れで、それ以降彼から目が離せなくなった。ある体育祭の日、彼がぶっちぎりで応援しているクラスを尻目に駆け抜けたときのことだ。特に体育が好きだったわけでもない。けれど、駆け抜ける彼の横顔が思いっきり楽しい、というようにほんのちょっと笑っているのを見て、いいな、と思ってしまった。それがよくある恋の始まりだった。
 例えば机に座っているときの横顔。友人と笑い合う姿。そんな些細なことにいちいち目が吸い寄せられ、冗談抜きに彼以外に目がいかなくなった。
 もともと引っ込み思案な性格なので告白しよう、とはあまり考えず、授業中ふとした瞬間にちらり、と一瞬見たりすることが続き、当然のように違和感を持たれた。
 クラスの中心にいた彼とはそんなに話をする機会もなかったが、席が近かったので時々落とし物を拾って笑い合うくらいの交流はあったのだ。しかしそれさえ彼に視線が吸い寄せられてしまい、明らかにぎこちなくなった。その上、自分から話しかける勇気もなく、そうこうしているうちに前に比べて明らかに彼からは話しかけられなくなった。
「来奈ー、ほら次、生物の授業だよー」
 幼馴染の符糸が、ひょい、と私の頭に羊のぬいぐるみ風の筆箱を置く。彼女を見上げようとするとじゃらり、と羊の腹の中のペンたちが揺れ、慌てて頭を平静に戻した。
「あ、うん。ごめんすぐ準備する」
 今度こそ落ちないように、と羊を机の上に置き、慌てて生物の教科書を机から漁った。

「でさー、あの人後輩と付き合ってるんだって」
 ほうほう、とギターと恋バナ好きの大花が身を乗り出す。三つ編みを編み込んだ茶髪がさらり、と揺れた。
「あーでもこの間見たことある。手振ってたよね彼女に」
「そうそう」
 よくぞ見ていました、というように符糸が力強く頷いた。心なしか得意げだ。相変わらず恋バナとなると二人はテンション高いな、と思いつつ来奈は苦笑いしながら同調した。
 …もしも、彼に恋人がいることを聞けたら?魔が差した、というほかはない。けれどもしかしたら。
「彼は?付き合ってる人とかいるのかな」
 密かに親しい友人4人ほどに囲まれて談笑している彼に視線を向けて尋ねてみる。お、と大花の目が輝いた。あんまりこういった話に積極的に話しかけないせいだろう。そうだと思うことにする。
「いやーやっぱりいるみたいだよ。ほら3組の長身のあの人」
 符糸が彼をほんと仲良いよねーあの2人、と遠目に彼らを見ながら答える。しかしその言葉にざっと血の気は引いた。別に付き合いたい、とかを思っていたわけではない。本当に。割り切っていたつもりだった。それでも意外なほどにショックを受けていて、自分でそのことに一番驚いていた。手をぎゅっと握る。痛い。
「あ、そう、なんだ」
 うん、と符糸が答える。大花が気遣わしげにこちらを見ていて、そのことに頭が冷えながらも気づいて、咄嗟に気を使わないで、と言いかけた。
「ごめん、ちょっと用事あった、また」
 はーい、と返事が聞こえた。その言葉を背景に、やや小走りでその場から、逃げた。

「大丈夫、大丈夫だから」
 逃げ込んだ人気のない旧校舎の廊下にその言葉が落ちる。誰に対して言ってるの?そんな言葉が浮かぶ。自分でも気が動転していた。心臓の音がやけに強く聞こえる。それを目をぎゅっと閉じて落ち着くまで手を握った。しー…。

 やっと動悸が落ち着いて、しゃがみこんだままふー、と息を吐く。まだこの廊下には誰もいない。そのことに安心しつつ廊下から窓を通して見える空を見上げれば、私の気分とは裏腹に鮮やかな青一色で。
「あー」
 失恋したんだ私。ようやくその言葉がすとん、と落ちた。

6/3/2024, 11:59:37 AM