Open App

眩しいばかりに有能で、人気者の親友。

共に歩くと街は友達ばかりで、ワイワイガヤガヤ、楽しい時間ばかり。

隣を歩くと、気分は太陽と歩いているかのよう。


「俺は〇〇になるんだ」
夢を大きな声で語るその姿に、自分も魅了された。

光あふれる未来が、自分にもあると錯覚するような感覚。



時が経ち、大人になったと自認してからすでに10年を超えた。

若者のカテゴリから外れた自分と親友。

しかし、親友は相変わらず人に囲まれた太陽だった。


変わったのは自分だ。

忙しいとは、心を亡くすと書く。


毎日夜中まで仕事。
休日もよく潰れる。

時間があるときは祖母の介護をして、老老介護の両親に僅かな自由時間をプレゼントする。

自分がやりたかったことも、何一つなし得ないまま、ただ糊口を凌ぐだけの日々。



そんな中でも、年に一回親友と会うのは、数少ない楽しみであった。


そんな親友との飲みの場で、諍いになった。

時間を確保できて子育てをしている親友と、仕事と実家で日々1人で生きているだけの自分。
価値観が違うのだ。

疲れ果てている自分に、親友は不思議そうに、だが少しイライラしていた。

あの表情は、あれだ。

出来の良くない部下に、内心のいらつきを隠して対応するときの上司の顔だ。


その後、「時間は作るものだ」と言われ、その言葉に、ああ、私は自分の時間を作る能力すらないから、結婚も子育てもできずにこんなに差ができてしまったのか、と納得してしまった。

そのとき、自分は親友と明らかに違う立ち位置にいて、その眩しい光を正面から直視した。


眩しい。
目を開けていられないほどの光。

自分はその光に照らされて、自分の能力というものが白日の元に晒される。

そう。
私は、光のそばにいて、自分も光ることができると勘違いしていたのだ。

だから、正面から光を浴び、見たくない自分の姿を知ってしまった。

ああ。

私は、心理的に孤独になった。

ただ、一方で、このときようやく、私は自分の身の丈を知れたのだ。

光と対峙し、自分の影を見ることで。

それは、惨めなようで、スッキリしたような、形容しがたい気分であった。


親友と別れ、夜の道を酔っ払いながら歩く。

たまに、道端に座り込む。

そして、時間が経つとまた歩き始める。


みっともない、どこにでも居る酔っ払い。

昔の私が見たら「情けない」と言うに違いない姿。



(とりあえず、歩き始めるか。)

しかし、立ち上がる。

ようやく、自分で進む道を自分で歩くのだ。

惨めでみっともなくとも、それが私の等身大。

1/24/2024, 10:43:59 AM