アサギリ

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【あの頃の不安だった私へ】


「行ってきます!」

その言葉が最後だったと母は言う。
その日。空は晴れ渡っていて、眩しいくらいに輝く太陽が真っ黒なアスファルトを熱していた。
外に出た瞬間から、茹だるような暑さでその年は、近年稀に見る猛暑日だったのだそうだ。

私の家は4人家族。

朗らかで、料理上手な母。

子煩悩で、でも仕事熱心な少し暑苦しい父。

私の双子の兄。ヨスガ。兄は活発で運動では賞なんかも取れちゃう才色兼備。文武両道な兄。

そして、私。ユイ。運動が苦手で人間関係も不得意。唯一の趣味は読書の、所詮陰キャと呼ばれる種族の1人だ。



小さい頃、母に聞いたことがある。それはなんて事ない宿題からだった。

【自分の名前の由来を聞こう】

ある日先生に出された宿題。周りの皆はワクワクしてる人もいれば、私のように頭にクエスチョンマークを浮べる人もいた。
だってそんなの知ってどうする。
頭のいい兄なら先生の言葉の意味が分かるかもだけど、正直私にはちんぷんかんぷん。

その日の夕方。私の兄は母に由来ってものを聞いたのだ。

「「私達の名前の由来って何??」」

母は本を読み聞かせるように、穏やかに教えてくれた。
兄の名前の漢字は【縁】えにしともいう。
私の名前の漢字は【結】むすぶともいう。

2人合わせて【縁を結ぶ】
何があっても、ふたりが一緒ならだいじょうぶ。
私と兄は顔を見合せた。ポカーンとしてる私の顔と何か決意したみたいな兄の顔。
そんな私達を見ながら母は今が一等幸せだというように微笑んだ。

きっとこれが私の一番幸せな記憶。

きっとこれが私の最後の思い出。




そう語るのは、小さい時の私だった。
カーテンがゆらゆら揺れる教室で。
日差しがゆっくり差し込む後ろの席で。
私は眩しいものを見るかのように微笑んでいた。


……これは夢?夏のブレザーを着た私の姿に、私は驚いた。
だって私はまだ中学生だ。制服なんてセーラー服だし、こんなのは可笑しい。
だって私は、中学に入ってすぐ、クラスに馴染めなくて、虐められて。学校に行けなくなったのだから。
言われのない罵詈雑言。
心無い言葉が私を傷付けた。兄と比べられ。卑下され続けた。母の笑顔はなくなっていき、父は丁度転勤で、1人で単身赴任へと向かった。
私は毎日、部屋に引きこもり、生きる事。人と向き合う事。全てを否定し拒絶していた。


…それに私は。…私はあの時。
あの夏。あの茹だるような憎たらしい夏の日に、兄に連れられ図書館に行って………。
行って……。それから。……それから。


……あ。…あぁっ。あぁアアア゛ア゛ア゛ア゛ア!!!!!!!!


私は膝から崩れ落ちた。そうだ。思い出したのだ。私達双子は迫ってきたトラックに跳ねられた。

目の前をまう真っ赤な血飛沫。
鮮明に広がる白と黒の道路。
耳鳴りがするくらい五月蝿い車のクラッシュ音。

思い...出した。
全て思い出した。真っ黒な部屋の中。死にそうになってた私を元気付けるために、大好きな兄は私を外に連れていってくれたのだ。
【大丈夫だ】【二人一緒ならなんとかなる】【俺が守ってあげるからな】
……そんな言葉を言ってくれた大切な兄。


「兄さんは何処だ?!生きてるよね!!ねぇ!!!お兄ちゃんは無事なんだよね!!!なんとか言ってよ!!!」

私は私に向かって叫ぶ。兄は何処だ。兄は無事なのか。兄は。兄は…!!!
そんな私を、私の姿をした何かは楽しげに見つめてる。

「なにが、楽しいの?!ねぇ!偽物!!私の偽物は何か知ってるんでしょ!!!ねぇ!お兄ちゃんは生きてるの!!!お兄ちゃんに会わせてよ!!!!!」

ゼィゼィ。ハァハァ。
私は生きが切れるまで喚き散らした。
それでも私の偽物は、笑ったまま。

それから数分。数十分。時は進み、静まり返る。
その中で偽物は問いかけていた。

「……ねぇ。本当に忘れちゃった?本当に?」

「…何が言いたいの」

「……あなたは誰で私が誰か。本当に忘れちゃったの?」

なんだ。なんなのだ。コイツは。嬉しそうにニヤニヤして。……ニヤニヤ?それはアイツが…妹がイタズラが成功した時にしてた笑い方で…。
…なんでコイツが妹みたいに…ユイみたいに笑うんだよ…!!なんで、私がユイでしょ?!…あれ??


(俺)
【私って誰だっけ?】


その瞬間。目を開けられないほどの突風が吹き、視界はごちゃ混ぜになり、私の世界は真っ暗闇に落ちていった。そして最後に見た偽物だと思ってたアイツは、最後まで楽しそうに笑ってた。

「…っ。……が。……だい………ねぇ!」

なに。

「…すが。………ってば。」

五月蝿いな。

「ヨスガ!!!!!」

っは。俺はパチクリと目を覚ました。
目の前には見覚えの無い天井と涙目の母親。
どこか萎れてる父親とどこかに繋がれてる点滴。


………俺は全てを思い出した。
俺達双子は、中学最後の夏。二人で図書館に出掛けだ。
そこへ向かう途中に、俺と妹は事故に会い妹の方だけ死んでしまった。
俺はそれがショックとなり、錯乱し、2週間部屋に引きこもり荒れてたらしい。飲まず、食わずで心配した母親と父親が何とかして部屋から引きずり出すと、そこにはユイと名乗るようになった俺がいたのだと言う。

俺は自分をユイ。見えない空間を見ては兄であるヨスガが存在するみたいに、振舞っていたらしい。
母親は心労が溜まり笑顔が消え、父親はタイミング悪く単身赴任中。
家庭内は冷めきっていた。

それから数年。社会人として働くようになった俺はまたしても事故にあったのだと言う。

そして気を失い。今に至る……。



「…あぁ!良かった!!!貴方も失ったら私はもう生きていけないわ…!!」
感極まって俺に抱きつきなく母親。

「お前も失わなくて良かった。ありがとうユイ。ヨスガを助けてくれて……ありがとう。」
もう亡くなってしまった妹ユイに感謝する父親。

俺は……。俺はずっと……。

「……ユイ。笑ってたよ。」

「「?!」」

「俺、会ったんだ。ユイに。アイツニヤニヤして笑ってた。……昔、悪戯が…ッ、成功した時に良くッ……してた笑い方で……。笑ってたよ。母さん。父さん。」

俺は2人を見つめながらユイと会ったことを話した。

「…元気そうだったよ。笑ってた。…昔みたいに……あの頃のように…。」

「……そう。ユイ。笑えるようになってたのね。」
母親は嬉しそうな涙を流しながら言う。

「…良かった。ヨスガもユイも母さんも……。これで皆幸せだな!」
母さんの肩を抱き締めながら、俺の頭を撫でる父親。


ユイ。……ユイ。ありがとう。俺を助けてくれて。…あの時。すぐに助けてやれなくてごめんな。さっきユイを「偽物」とかいって本当にごめん。
【愛してる】
俺の大切な片割れ。俺の大切な妹。
俺。夢を見つけたよ。叶うか分からないけど…。
いっぱい待たせるかもしれないけど、沢山土産話出来るように、精一杯生きるから。
だから、もう少しだけそっちで待っててくれ。


「まってるよ。ありがとう、お兄ちゃん。大好き」


窓の隙間から涼しい風が流れてきた。
カーテンはふわりと揺れ、心做しか踊って見える。一瞬だけだけど。そこには愛おしくて。
大切な片割れがいた気がしたのだった。

「…ヨスガ?あなた本当に、大丈夫?」

「ハッ。………。俺…今。」

俺は母親と父親の方を振り返った。そこにはまだ心配そうに、俺を見るふたりがいて。

「大丈夫だよ。母さん。父さん。」

今の俺に出来る精一杯の笑みを浮かべる。
大丈夫だ。大丈夫なんだよ。あの頃。片割れを無くして、どうしようも無く不安だった俺はもういない。…俺は、前を向いて歩いていくと決めたから。


「俺はもう、だいじょうぶだよ。」

5/24/2023, 12:46:28 PM