今宵

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『閉ざされた日記』


 長年市民に愛されてきたこの図書館は、老朽化のため間もなく建て替えられることになっていた。
 仮の蔵書保管場所に指定された施設に本を移すためのダンボール箱が辺りに積み重なり、彼は一日中そこに本を詰める作業に勤しんでいた。

 貸出の棚に並んでいた本の仕分けは思ったより早く片付いたが、それより厄介だったのは倉庫にしまいっぱなしになっていた未分類の書籍の仕分けだった。
 図書館の本の一部には個人から寄贈されたものもあり、その場合、職員が1冊ずつ本の状態を確認しなくてはならないためその作業は後回しにされていた。
 しばらく休館中であるこの機会に面倒な仕事は片付けておけと彼の上司からお達しがあったため、彼はこうして骨が折れる仕事を半ば押し付けられるようにして任されていた。
 寄贈されたときのままのダンボール箱を開き、1冊ずつ本を手に取る。そこから得たその本の情報をパソコンに入力し、分類ごとにダンボール箱に詰める。あとは延々とその繰り返し。
 彼がこの図書館に勤めて5年。ここにある手付かずのダンボールの山は、そのほとんどが彼が勤務する以前に寄贈されたものだった。
 寄贈時に毎回ちゃんと整理していればこんなことにならないのにと愚痴を言っても、本は勝手に片付いてはくれない。万年人手不足のこの図書館に手の空いた職員などおらず、チラッと覗いた他の部屋もどこも手一杯のようだったため彼は文句を言えなかった。
 思わず気の抜けたようなため息を1つこぼした彼は、「よしっ」と気合いを入れ直し再び本と向き合った。

 仕分けるべき箱をようやく半分ほど片付けたかというある日、彼はある1冊の本に手を止めた。
 漆黒の革張りの表紙は所々変色していて、背表紙の辺りは大きく亀裂が入っている。随分と古い物なのだろう。表の文字は掠れていて、上手く読めない。
 だが彼がその本に手を止めたのは、何もその古さや保存状態の悪さが理由ではなかった。
 その本だけはなぜか一緒に入っていた他の本とは違い、細長い紐が幾重にもグルグルと巻きつけられていたのだ。
 ちょっとやそっとじゃ切れそうにない頑丈なその紐は、端がこれまた何重にも結ばれていて、解くだけでも一苦労なのが一目で理解できた。
 誰が何のためにこんなことをしたのだろうか。何か理由があったのだろうが、この本の持ち主は確かもう亡くなっていたはず。
 だがどういった理由があったにせよ、寄贈された本はすべて一度中身を確認しなければならない。そういう決まりだった。
 そこで彼は、簡単にその本を開けるために思いつく限りの方法を試した。
 手っ取り早く紐の輪から本を抜けないかと引っ張ってみたが位置をずらす事さえ出来ず、普通のハサミで歯が立たないのならとダンボール裁断用の強力なハサミを使ってみても結果は同じ。
 残された手段は1つ。彼は地道に結び目を解くしかなかった。

「と……取れたぁ……」
 彼が壁掛時計を見上げると、終業時間をすでに5分過ぎていた。他の本の仕分けを一時中断して午前中から始めたにも関わらず、もうこんな時間になってしまっていたのだ。
 長時間酷使した目と指先、そして集中力はとっくに限界を迎えていた。
 残業はしないようにと日頃から釘をさされているし、体力的にも今すぐ家に帰りたいところだが、ここまでしたのだから当然中身は気になる。
 彼は、長い間閉ざされていたのであろうその朽ちかけた本の表紙を慎重にめくった。


 結論を言うと、その本は誰かの日記であった。
 それも百年以上も前の日記らしく、書いた本人の名前は記されてなかった。
 おそらく、誰かの遺した日記が他の蔵書と一緒にさらに別の誰かに移り、巡り巡ってこの図書館に寄贈する本の中に紛れ込んだのだろう。
 どの辺りがこの本をこうも頑丈に封印するに至った原因になったのだろうかと、彼は軽く目を通してみたがどこにも思い当たるような内容はなく、それどころか中身はごく普通の日常を記したどこにでもあるような日記のように思えた。
 しかし、それは突然の出来事だった。
 疑問抱きながら彼が日記の記された最後のページに辿り着いたとき、その日記は急に強烈な光を放った。
 眩い光は彼の視界を飲み込んだあと、そのまま瞬く間に消えてしまったという。


 知り合いが知り合いから聞き、その知り合いがそのまた知り合いから聞いたというこの話。出処は確かではない。
 ただ、この話には続きがある。

 彼が図書館からいなくなったことは、すぐに騒ぎになった。
 だが、彼の行方は結局分からないままだった。
 引越し前の大変な作業に嫌気が差し逃げてしまったのではという人もいたが、彼の同僚はこんな話を残している。
 彼が消えたその日。仕事を終え一旦帰宅の途についた彼の同僚は、忘れ物をしたことを思い出して図書館へ戻った。
 その時、彼が作業をしていた部屋から見知らぬ男が出てきた。
 小柄な彼とは似ても似つかぬその大男の手には、なにやら1冊の古びた本が握られており、そしてその本にはなぜか何重もの紐が巻きつけられていたらしい。

1/18/2024, 4:53:38 PM