『あんたたちにこの気持ちは分からないよ!』
そう言った彼女の顔は、怒りも悲しみも寂しさも後悔も、全部混ぜこぜにしてぎゅうと詰め込んだような、くしゃくしゃの表情をしていた。
祖父が亡くなってもうすぐ一年が経とうとしている。
「ばあちゃん、こんにちは。お邪魔するよ」
耳の遠い祖母に聞こえるように大きな声で呼びかけると、ドアの向こうから
「あらあ、いらっしゃい」と言う弾んだ声が聞こえてくる。
玄関から続く居間のドアを開けて一歩入るや否や、ふわりと香るアルコールの匂い。酔っ払い特有のとろんとした目と目が合う。
今日はもう既にどれほど飲んだのか。焼酎の小さなカップを片手に私を迎えてくれた彼女の前には、空になった同じものが幾つか転がっていた。
祖父が亡くなってからというもの、祖母のアルコール摂取量は甚だしく増えた。
生前の祖父母の関係は当時にしては少し特殊であって、祖父が仕事もしながらほぼ全ての家事や身の回りのことを担当し、祖母はというと、仕事を人生の生きがいとするように身を粉にして働いていた。
もちろん祖父はそれらを好きでやっていたし、祖母は朝から晩まで働きながら、義父母の介護や育児に奔走したりもした。定年も過ぎてしゃかりきに働く時期が終わってからも、祖父が作ってくれる弁当を持って仕事に出かけ、空いた時間は野生児のように一人で山へ川へと出かけていくような人だった。
実にユニークな関係性だが、二人にとってそれがベストであったならばそれはそれで良いのだ。
そのような訳で、祖母の生活は祖父に全く依存したものであった。そしてその絶妙なバランスは、祖父の突然の死によって大きく崩れることになる。
精神的支柱を失った彼女の、次の依存先が、アルコールというわけである。
「よく来たねえ」と回らない呂律で嬉し気に話すのに軽く愛想をしながら、空瓶を回収する。
昨日も来たのだというのに、全く毎回のように、遠方からわざわざ訪れた孫という認識で私に話すのだから可笑しい。
祖父が亡くなってから、私は祖母が涙を流している姿を一度も見たことがない。人前では泣かないと決めているのか、または“泣けない”のか。
いずれにしても、ひとりでは抱えられない程大きな喪失感を彼女はこれまでずっと耐え、そしてこれからも耐えようとしているのだ。
「ごはんは食べたの?」
テーブル周りを片付けながらそう問いかけると、
「これがあれば充〜分」なんて言いながら焼酎を軽く掲げて、愉快げに笑う。
もちろん良いわけはない。七十も後半になってからのアルコールの大量摂取は、祖母の認知症をますます進め、日常生活にも支障が出ている。数回行ったきり病院にはもう絶対に行きたがらない。
冷蔵庫を覗いて食材を確認する。
半端になったキャベツや肉を取り出してザクザクと切りながら、私はいつかの彼女の叫びを思い出していた。
『あんたたちにこの気持ちは分からないよ!』
手を止め、祖母を振り返る。
ぼうっと窓の外を眺めながら、ちびちびと焼酎を含んでいる背中がやけに小さく見えた。
あれは、彼女の心の叫びだった。
祖父が亡くなってすぐの頃、あの頃はみんな気が立っていた。寂しいね、辛いねとゆっくり悲しむ暇もなく、やるべき事は山積みだった。予期せぬ問題も発覚した。祖母はますます酒に浸るようになっていった。今思えば、あの時もう少し彼女の心のケアをみんなでしてあげるべきだった。
長年連れ添った配偶者を亡くすことは、寄り添うように植えられた二本の樹が無理やりに引き剥がされることに似ている、という話を聞いたことがある。
根は地中深くまで伸びて、複雑に絡まり合っている。その一方が引き抜かれれば、もう一方の根は、時には修復が不可能に思えるほどひどく傷を負うことになるだろう。
私にはその痛みが分からない。
経験がないことは想像するしかないが、私のこの貧相な想像力では、彼女の感情に触れるにはとてもじゃないが足りないだろう。
幸も不幸も、愛も憎しみも、越えたところに二人はいたのだろう。
それは私の知らない景色。あるいは一生辿り着けない場所かもしれないのだ。
「はい、どうぞ」
まだ湯気の立つ野菜炒めをテーブルに置く。
ゆっくりと窓の外から視線を移し、祖母は皿と私の顔を交互に見てから、「ありがとね」と笑って残りの酒をぐいと飲み干した。
『まだ見ぬ景色』
1/14/2025, 7:13:14 AM