雪だるま

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 自分で言うのもなんだが、僕はそこそこ大きな家に住んでいる。僕が自分の部屋から出ることはないけど、部屋の窓越しに見える、手入れの行き届いた庭は僕の目を慰めてくれる。
 でも、もう一つの窓から見える景色は最悪だ。まるで廃屋のような、古くてボロボロの小さな家はなんとも不気味で、見ているこちらの気持ちまで暗くなるようだった。

 僕は毎日ベッドの上にいて、光に照らされた明るい庭を眺めていた。そうやって言うことをきいていれば、お母さんは優しいお母さんのままでいてくれるから。
 でもお母さんがいつも持ってくる薬は大嫌いだ。僕は病気だから、飲まなきゃいけないって言われるけど、あれを飲むと気持ち悪くて仕方ないし、なにも考えられないくらい身体がだるくなるから、僕は時々、こっそりその薬を窓から庭に向かって捨てていたりもした。

 ある日僕は、ベッドの上から見る景色にもいい加減飽きてきて、何をして気を紛らそうかと思案していた。そして、僕の部屋のもう一つの窓から見える、あの陰惨な景色を見てやろうと考えついた。僕はベッドから下りて、自分の足でその窓まで歩いていった。
 お母さんには、僕は病気だから歩いちゃダメって言われてるけど、僕は別に部屋の中を歩くくらい平気なんだ。でも、お母さんが僕のためを思って言ってくれているのはわかってるから、お母さんに隠れて歩くのは今日だけにしようと思った。

 窓の外には、今にも壊れそうな貧しい家が建っていた。

「何してるの」

 僕が外を見て暗い気持ちになっていると、お母さんが部屋に入ってきて、僕はこっぴどく叱られた。あんなけがれた家を見て、大事な目が見えなくなったらどうするの、と言われて、僕はなぜだか泣きたくなった。お母さんはその窓に、昼間なのにカーテンをかけて、もうこの窓には近づかない、二度とあの家を見ないと僕に約束させた。

 次の日、僕は無性にカーテンのかかったあの窓の向こうが気になって、窓際まで歩いていった。昨日お母さんが言った言葉が、まだ心のどこかで鈍い痛みを放っていた。
 僕がカーテンの隙間から覗くと、向こうの家の汚れた窓から、五歳くらいの女の子がこちらを見つめていた。着ている服は薄汚れていたが、顔立ちはきれいな子だった。僕がその子から目を離せずにいると、彼女も自分のことをじっと見つめてくる僕に気づいたのか、少しはにかんで僕に手を振った。

 僕はそれから毎日ひそかに彼女と顔を合わせ、手を振りあった。
 その日もいつものように隠れて外を覗くと、彼女はとびきりの笑顔で手を振ってくれた。でも、その日はすぐに邪魔が入った。彼女の姉だろうか、彼女より2、3歳年上の少女が彼女の肩を抱いて、彼女を部屋の奥へと連れ去ってしまった。僕は一目見ただけで、その少女をひどく嫌った。
 少女は妹よりもさらに粗末で汚れた服を着ており、その服から覗く素肌はどこもまだらに赤黒い色をしていた。さらには少女の顔は醜く腫れ上がり、さながら物語に出てくる化け物のようだった。

 数週間後、僕は彼女に会いたくて、しばらくぶりにあの窓に近づいた。
 僕が外を見ると、彼女はすでに僕に向かって手を振っていた。僕は嬉しくて、はにかんだ笑顔を向けながら、彼女に手を振り返した。

 それから毎日、僕らは互いに手を振り合った。 
 彼女は時折後ろを振り返ったり、跳び跳ねたりしながらこちらに手を振ってきた。一生懸命笑顔を作ってこちらに手を振ってくれる彼女のことを、僕はかわいいと思った。
 あの赤黒い化け物は、あれ以来一度も姿を見せることはなかった。そして、彼女は少しずつ痩せていき、ある日僕の前から姿を消した。

 彼女が消えたことで、僕はとても嫌な予感がしていた。ずっと、彼女はなぜ消えたのか、そればかりを気にしていた。そんな僕の変化に気づいたのか、母親はしょっちゅうヒステリーを起こすようになったけど、今の僕にとってはそんなこと、もうどうでも良かった。とにかく、彼女が今どうしているのかを知りたかった。

 数ヶ月後、あの家から幼い姉妹の遺体が発見された。
 姉の方は、日頃から両親からの激しい暴力を受け、その後そのまま放置された末の衰弱死、妹の方は、家中に目張りされ閉じ込められた挙げ句、両親が戻らないまま食料が底をつきたことによる餓死。姉がいつも妹を庇っていたのか、発見されたとき、傷だらけで目も当てられないような状態だった姉とは違い、妹の方は傷一つなく、安らかに眠っているようにしか見えなかったそうだ。


 僕の悪い予感は的中してしまったのだ。
 
 当然、僕の家にも警察が来た。
 僕の母親は、警察が来ると激しいヒステリーを起こして追い返していたが、ある時、母親に向かって一人の警官がこう言っているのが聞こえた。

「あの家に生きたまま閉じ込められた子供が、なんとか助けを呼ぼうとして、あなた方に必死に手を振り続けていたのに」




─────

その後、事件現場の向かいにある邸宅に住む少年の状態が急激に悪化し、事件からそう間を置かずして死亡した。少年はもともと健康上の問題はなかったが、極度の運動不足と長期にわたる不要な薬の服用により様々な合併症を引き起こしていた。しかし、直接の死因は不明であり、合併症によるものだけではない可能性があるともいわれている。
また、彼の遺品の中から一冊のノートが見つかり、中には件の少女たちに対する贖罪の言葉が何十頁にもわたって書き綴られていた。そのノートの最後には、震える文字でこう書いてあった。




『僕たち、天国ではきっと幸せになろうね』


(窓越しに見えるのは)

7/1/2024, 3:54:50 PM