藍星

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もう、私に優しくしないでよ!!
と、思わず叫び、彼に背を向けて走り出す。

っ!?ちょっ・・あっ、待て!



––んで、飛び出してここまできたわけか。

鼻をすすりながら手で顔を覆っている私の背を、友人のマツがさすってくれた。
しかし、少々過呼吸になってしまっていて息が苦しく、その苦しさからまた涙が出て––-を繰り返して、なかなか息の乱れは治らなかった。



彼の元を飛び出した後、その私の足は無意識に、日頃からよく散歩の行き先にしている丘に向かった。

そこはちょうど春の花が見頃を迎えていて、近くに公園を兼ねた見晴らし台がある。
そこで昼間から花見酒をしている友人、マツと出会してしまった。

状況が状況なだけに、いくら親しい友人でも–––おまけに酔っ払いだ–––
その場を立ち去ろうかと思った。

しかし、酔っていても私がいつもと違うことに気づいたらしく、気遣う言葉をかけてくれた。その行動に、少し安心してしまった私はマツの前で泣き崩れてしまった。



なあ、アイツに迎えに来てもらった方がいいんじゃないか?

アイツとは彼のこと。
彼との親しい友人でもあるマツは、しばらくして私が少し落ち着いた頃、彼に連絡しようとスマホを取り出した。
しかし私は、その手を掴んでスマホを取り上げた。

絶対に連絡しないで。と、
私はスマホを握りしめ、マツを睨みつけるくらいの気迫を込めた。
マツは小さくため息をついた。

わかった。・・んじゃ、代わりにアイツと何があったのか話してもらおうか。

事情を話せるくらいには、落ち着いていたものの、ためらいがあった。
実を言うと彼との間で、特別何かあったわけではない。だから、なおさら言葉が出てこなかった。



彼は一見すると、少し近寄り難い雰囲気を感じさせる人だ。
どちらかと言うと無愛想で、あまり社交的ではない。おとなしい感じではあるものの、怒らせると怖そうな印象があり、何を考えているのかあまりわからないところによって、より近寄り難い人と思われている。

だが本当は、いたずら好きな少年のようなところがある人で、時には優しい兄や父親のような包容力も持っている。確かに怒ると怖いけれども、その態度や言葉には愛が感じられるし、彼なりの誠意がいつもこもっているのを感じる。

その上、実力や気概もある人。

そんな彼は、最近周りの人達にとても好かれている。
彼の才能や技量なんかはもちろん、彼の内にある優しい人柄が周りの人を惹きつけているのだろう。
あと、きっと彼の見た目の印象と、本来の人柄が合わないからこその、惹きつける魅力があるのだろうと思う。


彼のことを想う身としては、それは嬉しいことだ。大切に想う相手が、周りの人達からも好かれているのは、喜ばしいこと。
実際、最近の彼は笑顔が増えたなぁと、私も感じていた。
きっと、それだけ周りの人達から良くしてもらえているのだろう。

私としては、彼のその笑顔を邪魔したくない。とは、本当に思っている。
だけど・・その人達の中に、彼を恋慕の眼差しで見ていそうな人を見てしまうと、なかなか心から彼の笑顔を喜べない自分もいた。

彼の前では、その気持ちを押し込めていた。そんなことで心を乱してしまう器の小さい自分が嫌で、そんな気持ちを出してしまったら情けなさで愛想を尽かされてしまいそうで。本当に彼の笑顔の邪魔になってしまうんじゃないかと不安で・・・そんな気持ちを出してしまうと、彼を信じてないことになってしまうような気がして・・

彼の前ではいつも通りに振る舞い、彼と共にいる時は彼の存在で生まれる安心を、愛おしさを感じていた。

でもその気持ちに比例して、押し込めた気持ちは彼との時間を過ごすほどに、大きくなってしまう。
彼は幸せそうだ。なら、私も幸せだよね。
と言い聞かせ、心の中で湧き上がる乱れを抑えることをしばらく繰り返していた。


そんなある日、彼のことを話題にしている人達の会話が耳に入ってしまった。
–––あの方、とても立派な方ですよね。あんな方なら是非にと思うのは、私達だけではないでしょうね。–––
–––ですよね。もう、お話しくらいはあの人には届いていらっしゃるのではないでしょうか。あとは、あの方次第ですね。悪い話とは思われないでしょう。–––

今思うと、仕事やそれに関係する話だったのかもしれない。でも、その時の私は彼に対して想いを寄せている相手がいると、思い込んでしまった。彼の評価や人徳が上がっていること、彼がそれを喜んでいることは私も気づいていたから。

また日に日に不安が募り、余裕がなくなっていたから、そう思ってしまったのだろう。私の見解が当たっているかはわからないということは、間違えているかもわからないのだから。それに何せ、彼の素晴らしさは誰よりもわかっている自負があったから。
それに、会話の内容は彼をよく思っていることは確かだ。

だから、応援しなければと、なおさら自分で気持ちを抑えることになったのだろう。


それが、自分でも気づかないうちにずいぶんとため込んでいたようだった。顔や態度などに出していないつもりだったが、彼に何かあったのかと聞かれた。

何かあるなら、話してほしい。
ちゃんと聞く。君は日頃からため込みがちだ。話すだけでも楽になると思う。

この優しい言葉を、彼のことでなかったら嬉しく感じられていただろう。だけど、
あなたのために・・
こんなに我慢してるのにっ。なのにっ・・
と、まるで私の我慢していた大きな風船という気持ちが、彼の優しさという小さな針で割れてしまったように、気持ちが抑えきれなくなってしまった。

優しくされればされるほど、彼が愛おしいと思うし、彼の幸せを願う。そして、同時にそのために彼が私の元からいなくなって、誰かの元へ行ってしまうかもと感じて苦しい。


もう、私に優しくしないでよ!!

この気持ちの板挟みに耐えられなくなった私は、彼の優しさを突き放して逃げ出してしまったのだ。

そして突き放した今、私の心に残っているのは、彼の気持ちが私の元からなくなってしまうかもしれないという恐怖だった。



そっかぁ・・そらぁ、つらいわなぁ。
そんで、優しくしないでよって、なっちまったわけか。

一通り話し終えると、マツは私の頭を撫でた。再び泣き出してしまった私が落ち着くのを待って、マツは言った。

お前さん、ずいぶんとアイツのことを想うようになったんだな。
おれが知る限り、お前さんが誰かのためにここまで気持ちが動いたことなんかないからなぁ。それだけ、アイツが特別で大切なんだな。

その通りなのだけど、こうして相手に言われると気恥ずかしいものだ。でも、マツは私と彼が一緒にいる前から、私達のことをよく知っている。
私は頷いた。

優しくしないでよって言うのは・・本当は、"アイツからお前さん以外の誰かに優しくしないで" っていう意味だったのかもな。

言われてみれば、その通りなのかもしれない。でも、そんな幼稚な言葉、はっきり言ったら呆れられそうだ。
いや、すでに呆れられてるかもしれない。



突然、後ろから足音が聞こえた。
振り返ると少し息を荒くした彼がいた。
マツは待ち侘びたという様子で、彼の肩を叩いた。

ようっ、来たなぁ。おまえぇ〜〜幸せもんだなぁ。ははっ!

彼は、わけがわからないという様子だ。
なんのことだ?と、私とマツの顔を交互に見た。

私も、マツのスマホばずっと私が持っていたのに、どうして彼がここに来たのかがわからず、マツを見た。
マツはスマホを私の手から取って、
背を叩いた。

実は、お前さんが最初にここに来て泣いている間に連絡しといた。
保護はした。泣き終わった頃合いを見計らって迎えに来い、ってな。

マツは彼の胸を小突いた。

事情は聞かせてもらったが、詳しいことは本人から聞くべきだ。いろいろとお前からも直接言ってやった方がいいみたいだぞ。
一言だけ内容を伝えるとな、こいつは、
ずっと嫉妬してて苦しかったんだと。

んじゃ、おらぁ帰るから。あとは二人でゆっくり話せよ〜。
と、マツは飲みかけのお酒をあおぎながら帰って行った。

私がどう言おうかと考える暇もなく、彼は私の前に歩みより、私の額を指で強くはじいた。

まったく・・わけがわからないこと言われて、突然逃げ出される身にもなってくれ・・・心配する以上に、気が気じゃなかった。


彼の瞳は動揺と心配と、安心が混ざってるように見えた。

小さくため息をついた彼は、逃げないようにするためか、私の手を握って聞いた。
優しくしないでよとは、どういうことか。
泣いてたと聞いたが、それは何故か。
嫉妬して苦しかっとは・・何のことかと。

説明するまで、絶対に手を離してくれないと感じた。でも、マツにすでに一言だけだけど、内容は伝えられてしまっている。
私は、呆れられることを覚悟して事情を話した。


それで、優しくしないでって・・そういうことだったのか。・・はぁ、そっか。
確かに、少し呆れてしまうな。

その呟きに、私はまた気持ちが湧き上がってしまった。
元はと言えば、あなたがカッコいいのがいけないんじゃないっ・・だんだん素敵になっていくし、前はあんまり笑わなかったのに、今はすっかり魅力的な笑顔をするようになったし、雰囲気もやわらかくなってすごく頼りになりそうに感じる。実際、あなたは強くてとても頼りになるんだから、より素敵だよ!
そんなあなたが周りの人達に好かれるのは当然で、私がもっとあなたを好きになるのはもっと当たり前じゃないっ・・だからこそ私はっ、あなたを想うならあなたのためにって・・
再び涙が出てきそうなところを必死にこらえてわめいていると、耳の先まで赤くなった彼が抱きしめてきた。

あーー、わかった!わかったから!もうそれ以上は、すごく嬉しいけど・・さすがに恥ずかしいから言わないでくれ。
確かに、少しだけ呆れてしまった。だけど・・その何百倍も嬉しいよ。そんなに苦しい想いをするほど、オレのことを想っててくれてるって感じてさ。
マツが言ってたように、オレからもいろいろちゃんと伝えないといけないことがあるのは、よくわかったよ。
でもまずは、これだけは覚えておいてくれ。
オレは絶対に、君から離れたりしない。
君だけだから。オレが特別に想っている唯一無二の存在は。
だから、安心してほしい。

やっぱり、優しくしないでほしいと思った。だって、必死にこらえていた涙をいとも簡単に引きずり出してしまうのだから。
カッコわるいから、彼のことで彼の前では泣きたくなかったのに。
しかし彼は–––

君のオレのための涙なら、オレが受け止めるべきだろう。他の奴が受け止めるなんて、正直マツでも嫌だ。
あと・・他の奴に優しくしないでって、オレだって君に言いたい時はあるんだ。

なんのことか私は見当もつかなかった。
だけど、そのことはなかなか彼は教えてくれなかった。
本当にそういうところは、優しくしてくれないなんて・・・

でも私はきっと、彼に本当に優しくしないでなんて、言えないんだろうな。

だって、優しくされたら私も嬉しいから。

5/3/2024, 2:38:12 AM