勤め先の探偵事務所に向かう途中、そこの所長である先生がカラスに絡まれているのを見つけた。
 ガアガアと数匹のカラスが先生を取り囲み、興奮しているのか、翼をバサバサとばたつかせている。
 自らをハードボイルドと称し、なにかと奇行の多い先生であったが、まさかカラスに追い詰められるとは……
 相変わらず面白い人である。
 このまま見ていたい気持ちになるが、私は勤め人……
 遅刻になってしまう。
 ただ幸いにして雇い主は目の前にいる。
 うやむやに出来るなと頭で考えていると、先生と目が合った。
「いい所に来た!
 助けてくれ、カラスに囲まれてる!」
「見れば分かります。
 でもカラスに囲まれるって、ハードボイルぽくないですか。
 そのままでもいいのでは?」
「そんなわけないだろ!」
 怒られた。
 まあ、口から出任せなので、当然といえば当然なのだが……
 今度は真面目に解決策を考える。
「そのまま普通に走って、事務所に逃げ込めばいいのでは?
 建物の中にまで入っては来ないでしょうし」
「それをやると事務所の場所を覚えられるだろ。
 カラスは頭がいいから、逃げ込んでも出待ちするに決まってる」
 カラスを過大評価しすぎだとは思うが、私も否定できるほどカラスに詳しくない。
 このまま黙っておく事にした。
 ただ頭がいいのは間違いない。
 私たちがカラスの言葉がわからないのに、カラスは私たちの言葉を理解しているのだから……
「先生、いったい何をしたんですか?
 こんなにカラスに絡まれるなんて、普通じゃないですよ」
「何もしてない」
「カラスも暇じゃないんですよ。
 何もしていないのに、絡みに来るわけがないでしょう?」
「何もしてない、けど……」
「『けど』?」
「聞いてみただけなんだ……」
「何を?」
「『カーラースー、なぜ泣くの?』って」
「…………はい?」
 ハードボイルドらしからぬ発言を聞き、思わず変な声が出た。
 そんな、小学生でもしないようなこと、大の大人がやるかね……
 面白いを通り越して、心配になってくる。
 それはともかく。
「それじゃ、カラスは『なぜ泣くの?』と聞かれたから、こうして説明しているってことですか?」
「多分、そうなんじゃないかな……
 でもカラスの言葉、分かんないし」
「私も分かりません……
 ああ、でも!」
 私はポケットからスマホを取り出す。
「翻訳アプリを使えば!」
「俺、テクノロジーについて詳しくないけど、それは人間用だろ?」
「何を言っているんですか!
 今は令和ですよ!
 カラス語にも対応しているはず!」
「令和を信頼しすぎてる」
「あ、出来ました」
「令和すげえな!?
 それでなんて言っているんだ?」
「『君と飛び立つ』」
 私が文字を読み上げる。
 するとカラスたちは、鳴きやんだ。
 どうやら正解らしい。
 これでようやくこの騒動は終わるらしい。
 しかし一つだけ問題がある。
「どういう意味だ?」
「さあ?」
「ちゃんと翻訳出来てないんじゃないか?」
「そんなはずは……」
 私たちの雰囲気を察したのか、再びカラスがガアガアと鳴き始める。
 その度にスマホに『君と飛び立つ』と表示され、やがて画面が埋め尽くされる。
 いったいカラスは何を伝えたいのだろう……
 カラスの習性に関係あることなのだろうか?
 私は突破口を探すため、数日前に見たカラスの特集を思い返していた。
 そして私はある仮説を思いつく。
「そう言えば、カラスってパートナーが出来たら死ぬまで一緒にいるそうですよ」
「へえ、そうなんだ……
 でもそれと今に何の関係が?」
「先生、もしかしてプロポーズされているのでは……」
 そう言うと、先生がハッと目を見開いた。
「なるほど、パートナーになって一緒に飛ぼうていうお誘いか。
 今黒い服を着ているから、カラスと間違えられたんだな。
 いやあ、困るなあ」
「なんで照れるんですか?」
 カラスにモテて喜ぶっていう感性が分からん。
 実はカラスが好きなのだろうか?
 見ようによっては可愛いところはあるけれど……
 私がどうでもいい事で悩んでいると、先生が一歩前に出た。
「お前たちの気持ちは嬉しい。
 でも無理なんだ。
 パートナーは人間って決めていてな。
 すまん」
 先生は頭を下げた。
 そそれを聞いたカラスたちは、お互いに目を合わせ、カアカアとひそひそ話をし始める。
 そして、もう一度先生を向いたかと思うと――
「「「アホーアホー」」」
 バカにしてきた。
「違うみたいですね」
「かかなくていい恥をかいた」
 先生はがっくりと肩を落とした。
「じゃあ、結局なんなんだよ!
 なんで俺はカラスに絡まれているんだよ!」
 先生が叫ぶと、三度カラスたちが鳴き始める。
 さすがのカラスも堪忍袋の緒が切れたのか、鳴き声は次第に大きくなり……
 次第に大きく……?
「あっ、カラスが増えてます!」
「なに!」
 気づけば私たちの周りには、カラスがたくさんいた。
 見渡す限り、黒、黒、黒。
 まるでホラー映画のような光景に、私はゾッとした。
「まさか俺たちを食うつもりか!?」
「皆さん、食べるなら先生ですよ。
 なにせ、ハードボイルド(固茹で卵)ですからね」
「俺を売りやがった!」
「近づかないでください!
 元はと言えば先生が蒔いた種、一人で責任を取ってください!」
「ふざけんな!
 この前給料上げてやったのに、この恩知らずめ!」
「それとこれとは別です!
 犠牲になってください」
 襲われたくない一心で醜い争いを繰り広げる私たち。
 だがその間にもカラスは増え続け、私たちを取り囲んでいた。
「カア」「カア」「カア」「カア」「カア」「カア」
 私たちを取り囲んで鳴き始めるカラスたち。
 その異様な光景に、私は恐怖を通り越し、逆に冷静になってきた。
 こうなったら逃げるしかない。
 幸い事務所はすぐそこだ。
 全力で走り、建物に逃げ込めば助かるはずだ。
 場所を知られる危険性はあるが、死ぬよりはマシ……
 そう思い、走り出すため腰を息を大きく吸った時だった。
「カア!」
 突然一匹が鳴いたかと思うと、集まっていたカラスが一勢に飛び去って行ってしまったのである。
 群れを作り、遠くの空へ消えていくカラスたち。
 何が起こったか分からず、呆然と眺めていたが、私はあることに気づいた。
 
「なるほど、『君と飛び立つ』って、仲間に向けて言ってたんですね!」
 道理で話が噛み合わないはずだ。
 カラスは最初から説明していただけなのだ。
 私たちをどうにかするつもりは毛頭なく、仲間たちを待つまでの間で暇つぶしをしていただけなのだろう。
 全く人騒がせなカラスだ。
「ああ、びっくりしました。
 これで一件落着ですね」
「おい……」
「どうなる事かと思いましたが、終わってみれば楽しかったですね。
 私、今日の事はきっと忘れな――」
「おい!」
「……なんでしよう?」
「お前、俺をおとりにしようとしただろ……」
「……過ぎたことは忘れましょう。
 それがお互いのためです」
「いいや、忘れない!
 ていうか、その提案で得するのお前だけだ!
 許せん、給料下げてやる!」
「ごめんなさい〜!」
 こうして私たちは、私の給料を下げられるという悲劇があったものの、無事に事務所へ辿り着いたのであった。
 なお後日、昼メシの買い出しに出た先生が、出待ちしていたカラスにコンビニ弁当を強奪されたのはまた別の話である。
8/26/2025, 10:52:36 PM