紙ふうせん

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『ごめんね』

私、千春はこの春高校三年生になった。
私の育った所は地方ののんびりした場所。私は生まれ育ったこの町が嫌いではないけれど、東京に憧れていた。

高校時代までは洋服を買いにいくお店と言ったら、せいぜい大きいお店が二店舗。新しい服を買ってもらって着ていくと、色違いとか下手すると同じ服を着てる子が必ずいる。だからその事にも、もううんざりしていて、だから田舎は、といつも思っていた。

雑誌で見る東京はとても魅力的だった。
だって、何もかもが揃っている。私の地元とは天と地ほどの差があった。
私は小さい頃からの夢が美容師になる事だった。もちろん地元にも理美容学校はあったし、美容院もあった。けれど私は、もうこんなのんびりした地元で専門学校に通ったり、就職するのはごめんだった。

両親は、思った通り反対した。そんな知らない東京に一人で行ってどうするのかと。
それで私は両親には内緒で、純ちゃんに相談したのだった。
純ちゃんは私の母方の六才年上のいとこだ。一人っ子の私にとって、小さい頃から純ちゃんはお姉ちゃんみたいな存在で大好きだったから。

純ちゃんは今は東京にずっと住んでいる。そして相談をしたら、東京の理美容学校やサロン(純ちゃんは美容院なんて言わなかった)は、地方のそれとはやはり全然違うらしいという事がわかった。そして、もし東京の学校に通ったり、就職するなら、家賃が高いから、私が今住んでいるアパートに一緒に住まない?と言ってくれた。

それは、純ちゃんにとっても助かるらしい。今、一緒にするでいる友達が(ルームシェアと言うそうだ)事情ができて地元に春には帰ってしまうのだという。だから、一人では家賃が高いので、誰かルームシェアする人を探そうと思っていた、と言った。
専門学校を選ぶのにも、相談に乗ってくれるとも言ってくれた。

そして、純ちゃんが私の母に話してくれて、母も姪っ子の純ちゃんが一緒に住んでくれて、専門学校も相談に乗ってくれると言うので父に話し、まあ純ちゃんがついてくれているなら、という事で、ようやく東京に行かれることになった。私は憧れていた東京で、そして更に大好きな純ちゃんと一緒に住める、というのが嬉しくて嬉しくて、もう気持ちはすでに東京にあった。

三月には、私は東京に行って純ちゃんと住みだした。
キッチンと部屋が二つ。部屋にはお互い勝手に入らない。キッチンは二人の共有スペースだから好きに使っていい、と言ってくれた。

そして、地元にいる時からさんざん吟味していた理美容学校についに四月から通いだしたのだ。
覚える事は山ほどあった。
考えていたよりずっと大変で、自分の考えの甘さに心が折れそうだった。
そんな私に純ちゃんは、誰でもみんなそんなものなのよ、と言ってくれた。

疲れて帰ってきても、純ちゃんと一緒に夕飯を作って、その日のあった事を話しながら一緒に食べるのは、とても楽しかった。私は一緒に住みだした時から、純ちゃんへの感謝も込めて、食事の後片付けは自分でやると決めていた。純ちゃんは交代でいいじゃないの、と言ってくれたけれど、私は純ちゃんのおかげでこうして憧れの生活ができるのだから、と譲らなかったら純ちゃんは、ちーちゃんのそういうところは叔母さんそっくり、と笑って言った。

そして私が二年生の夏頃、急に純ちゃんが、ちょっと旅行に行くけれど、一人で大丈夫?と聞いてきた。びっくりしたけれど、純ちゃんには純ちゃんの生活があるのだからと思い、私は笑顔で大丈夫、と言ったのだ。

でも、旅行から帰って来てから純ちゃんの様子は少し変わった。口数が少し減り、それからしばらくしたら、ちーちゃんもだいぶ慣れたのだから、食事の支度を頼んでいいかな、と言われた。私は今まで知らない料理も純ちゃんに教わりながら一緒に作っていたから、うん、もちろんいいよ、と言った。そして、私は今まで純ちゃんに甘えすぎていたのかな、と反省した。

でも、疲れて帰ってきて買い物をして毎日料理を作って出して片付けるのは、けっこう疲れた。独り暮らしならこういう生活をするはずだったんだ、と改めて純ちゃんに感謝したのだ。

純ちゃんは、時々部屋に一日こもって出てこない日が出てきた。部屋から出るのは、お風呂や食事だけ。

最近、仕事で疲れているのかな、と思い、今まで交代制だった掃除や洗濯、ゴミ出しなども私がやるようになった。

私は学校を卒業し、比較的通いやすい場所にあるサロンに就職した。
その時は、純ちゃんが前みたいに笑って心から喜んでくれた。

そして、就職祝いをしましょうよ、と言って、お洒落なイタリアンのお店で食事をした。久しぶりに見る純ちゃんの笑顔に、私はとても嬉しかった。食べ終わる頃、はい、これ就職祝い、と言って、細長い、きれいにリボンがかかった箱をプレゼントしてくれた。

私は思っても見なかったのでびっくりしながら、嬉しかったのでその場でその箱を開けた。すると、とてもきれいなプラチナのネックレスが入っていたのだ。驚いている私に純ちゃんは、もう大人なのだから、ちーちゃんもそれ位つけていいんじゃない?と微笑んだ。
早速つけてみたら、ヒヤリとしたプラチナがズシリ、と私には大人の重みを感じさせた。そして心を込めて純ちゃんにお礼を言うと、ちーちゃんもプラチナが似合う大人になったのね、としみじみ言ったので、私は吹き出してしまった。すると純ちゃんも、いやだ、お母さんか何かが言うみたい、と一緒に笑った。

仕事をするという大変さは、専門学校に入った時の比ではなかった。まだまだ未熟で下働きしかやらせてもらえない。カットした髪を掃除したり、使った山のようなタオルを洗濯して干したり、パーマ用のロットの用意をしたり、それでもモタモタしていると怒られた。
仕事が終わったあとから、シャンプーの練習をしたりするので、帰るのは夜中になった。

就職する時純ちゃんは、これからは大人同士なのだし、帰る時間やお休みも違うから、お互い、自分のことは自分でしましょう、と言われた。そしてゴミ出しだけ、頼んでいい?と言うので、そうだな、今まで甘えていたのだからと思い、うん、いいよと言った。

だけど、一日立ち仕事で電車に揺られて帰って来てから、純ちゃんはとっくに全部済ませ部屋で寝ている中、食事を作る元気はなかった。だんだんコンビニの袋を下げて帰って来るようになり、疲れで食欲もなく、サラダを食べて済ませたりしていた。

するとある時、純ちゃんに一緒に暮らすようになって、初めて怒られた。
キッチンのゴミ箱にコンビニのパックばかり捨ててあるので、何故ちゃんと料理をしないのかと。
私も疲れていたので、つい口答えしてしまった。私は純ちゃんよりずっと遅くまで仕事をしてるのだから、疲れて作れない、と。すると純ちゃんは、ちーちゃんは甘えている、と言った。

そんな事、美容師を目指した時からわかっていた事じゃないの、そういう人が都会ではみんな独り暮らしをしていて、ちゃんとした生活をしているのだから。ちーちゃんは心の中で、私に依存しているのじゃないの?と言われた。
何も言い返せなかった。たしかに私は心のどこかで、遅くまで仕事しているのだから、食事を作るとき、ついでに私の分も作ってくれたっていいじゃない、と思っていたのは確かだった。

純ちゃんは、私はちーちゃんの母親じゃないのよ、勘違いしないで、と言った。その冷たい物言いに、私は腹が立った。
そして、ひとこと、分かったよ、と言ってまだ何か言おうとしている純ちゃんを見ないで部屋に入った。
コンコン、と純ちゃんがノックしたけれど無視していた。

すると、純ちゃんも部屋には入ったようだった。

私は、純ちゃん、最近私に冷たいな、と思っていた。痛いところを突かれて何も言い返せない事にも腹が立った。
純ちゃんのバカ、と心の中で思っていた。

だから、それからは私は遅く帰ってから作るのは無理なので、休みの日にスーパーで買い物をして、冷凍できる煮物や和え物を作ったり、ハンバーグや焼き魚、魚のフライ、チキンカツなどを作って冷凍しておいた。サラダ用に、トマトやきゅうり、パプリカ、レタスを買っておいて、サラダが食べたい日は、朝、切って器に盛ってラップして冷蔵庫に入れておいた。あとは前日の夜に休みの日に作り置きして冷凍しておいた物を冷蔵庫に移しておいて、食べる時レンチンして食べるようになった。

きちんとした食生活のおかげか、仕事に慣れてきたのか、以前ほど疲れなくなった。洗濯も夜シャワーを浴びながら洗濯機を回し、上がると部屋干ししておいて、天気のいい日は朝ベランダに出していった。
一緒に暮らしながら、純ちゃんとはあれ以来、ほとんど顔を合わせていない。朝は会社員の純ちゃんの方が早いし帰りは私の方がずっと遅い。お休みも純ちゃんは日曜日だけれど、私は月曜日だったから。
私は、一人で自分の事は何でもできるようになっていた。半分は純ちゃんへの意地もあった。

日曜日、純ちゃんはお休みなのに朝起きてこない事が増えてきた。
夜もキッチンのゴミ箱に純ちゃんの料理して食べた残りが何もない事も出てきた。
私はだんだん腹が立ってきた。
私にはあんなに言っていたのに、自分はお休みはダラダラ寝ているし、夕飯だって外食してるのか、ちゃんと作ってないじゃない、と。

そして、ある日いつものように夜遅く帰ってくると、驚いた事に純ちゃんが起きてキッチンに座っていた。
「ただいま」と言うと「おかえりなさい」と言った。なんだか気のせいか少し痩せて元気がないように見えた。

私は、いつものように冷蔵庫に入れておいた、作りおきの食事をし出した。食べ終わるのを待って、純ちゃんが、ルームシェアを解消したい、と言った。
内心、ものすごい驚いていた。ショックだった。そこまで嫌われていたとは思っていなかった。
最初はあんなに親切にしてくれたのに、と腹が立って、即座に「いいよ、私もそうしたいとちょうど思っていたから」と言った。嘘だった。

でも、そう言ってしまったのだから、あとへは引けなくなった。
幸い、私の勤めているサロンでは寮にしているアパートがあった。そこに入ればいい、私はそう思った。
だって、もう一人で何でもできるから。

翌日、朝出勤すると早速、寮に入りたいのですが、と言うと、空き部屋があるからいつでもいい、と言われた。
では来月からお世話になります、と言った。今月はもうあと半月しかなかったから。

私は次の休みの月曜日に引越し業者を探し、日取りを決めた。
勤めの日は疲れるので、休みの日に荷造りしなくちゃ。早速段ボール箱に荷物を入れてる私を、純ちゃんは時々、チラッと見ていた。私は気づいていたが、気づかないふりをしてせっせと荷造りをした。

そして、明日引っ越しだという夜、純ちゃんに挨拶はしなくちゃ、と思った。嫌われていても、私が東京で美容師になれたのは、純ちゃんのおかげだったのだから。
いつから嫌われていたのか、さっぱりわからなかった。いつから?なんで?
やっぱり、別々に暮らしていたから、可愛がってもらったけれど、一緒に暮らしたら、私はただの甘えん坊で嫌になったのかな、と思った。そう思うと、少し淋しかった。

純ちゃんの部屋をノックしてドアを開けたら、純ちゃんはまだまだ寝る時間ではないのにベッドにいた。
私がびっくりしてると、笑って、いやだ、うたた寝しちゃった、と言った。
やっぱり、純ちゃんは以前より痩せて元気がなく見えた。
なんだか心配になり「純ちゃん、どこか悪いの?」と言うと、「全然どこも悪くないわよ。最近、ちょっと仕事が忙しいの」と言った。そうなのか、良かった、と思い、純ちゃんに挨拶しようとしたら、純ちゃんが「あらたまって挨拶なんてやめましょうよ」と言った。挨拶もしたくないのか、とちょっとムッとなり「それじゃあ、純ちゃんも元気でね」と言うと部屋を出た。

これで本当に良かったのだろうか、やっぱりきちんと挨拶したほうが良かったのでは、と思ったが、純ちゃんから言われた言葉が心に突き刺さり素直になれなかった。

翌日、純ちゃんはいつもより早く家を出たので、本当に挨拶できないまま、私は引っ越した。気になりながら。

新しい寮生活は楽しかった。いろんな支店の子がいたし、それぞれの部屋はワンルームのアパートそのものだったので、気兼ねせず、キッチンも使えるし、洗濯もできる。

そして、仕事でも少しずつやらせてもらえる事が増えてきた。仕事が終わった後、私と同期の子たちはみんな一生懸命練習をしていた。私も仲間がいるのが励みになってがんばった。

寮に帰っても、私は純ちゃんと暮らしてた時の続きで、休みの日に作り置きして、夜シャワーを浴びながら洗濯をしていた。
みんなは意外だったが、そんな事はしてなかった。コンビニのごはんで済ませたりしていた。ビールを飲んでお終い、という人もいた。洗濯だって休みの日にコインランドリーで済ませる人も結構いた。

千春はすごいね、と言われた。
その時になって、純ちゃんは私が一人でも困らないよう、いろいろとタイミングを見て考えていてくれてたんだ、と気づいた。純ちゃんに無性に会いたくなった。でも、一緒に住みたくないくらい嫌われているのだから、連絡はしなかった。

そして、それから半年が経つ頃、母から電話が来た。純ちゃんが亡くなったのでお葬式に出るから帰ってらっしゃい、と言われた。頭が真っ白になって、すぐに言葉が出てこなかった。
仕事中だったから、今夜帰るね、とようやく言って電話を切った。
その日は、失敗ばかりしていた。夕方、お店が空いた時、店長に話すと「馬鹿ね、なぜすぐ言わないの」と言われ、今日はいいからこれからすぐ行きなさい、と言われた。一週間休んだら来るのよ、と言われて。

とにかく、持ってきていた黒のフォーマルとバッグなどを揃えてキャリーケースに入れて、夜の新幹線に飛び乗った。何がなんだか全然わからず、何も考えられなかった。

駅からタクシーで、久しぶりに家に着いた。「お母さん、純ちゃん本当に死んだの?」帰るなり言うと、逆に母が驚き「あんた、けっこう長く純ちゃんと暮らしてたじゃないの、知らなかったの?」と言われてしまった。
子宮がんだった、と言われた。
なんだか様子が変なので、病院に行ったら大きい病院を紹介されて検査入院してたという。
それは純ちゃんが私がまだ専門学校の二年生の時だった、と聞いて、ちょっと旅行に行ってくる、と言った、あの時だったんだ、とようやく知った。

私は仕事に行っていて知らなかったが、純ちゃんは働きながら定期的に病院に治療に通っていた事を知った。

その後、転移があり、余命宣告を受けていたのだと言う母の言葉をぼんやり聞いていた。

そうか、純ちゃんは自分の死期を知って、私が一人でも困らないよう、いろいろ考えてくれていたんだ、と初めてわかった。
そして母から、あんた宛ての純ちゃんの手紙よ、と手渡された。

自分の部屋に久しぶりに入り、ベッドに座り手紙を読んだ。そこには懐かしい純ちゃんの言葉があった。

『ちーちゃん、ごめんね。私は大好きなちーちゃんともっとずっといられると思っていたのだけれど、出来なくなってしまいました。もし、このまま私が死んだら、と考えたら、ちーちゃんはこの先も東京で働くなら、一人で生きていく事になるから、心を鬼にして、なんでもちーちゃんが一人でできるように、私をあまり頼らないようにしてました。ちーちゃんの就職祝いをした時、楽しかったね。二人でお祝いができて、私は本当に嬉しかったの。
ちーちゃんは私の妹みたいなものだったから。本当は全部話してしまいたかった。でも、ちーちゃんが一生懸命仕事をしているのを知っていたから、言ってはいけないと思っていたの。
最後は、笑ってさよならしたかったけれど、泣いてしまいそうで、できなかった。ごめんね、ちーちゃん。最後まで優しくできなくて。
もう、ちーちゃんは一人で何でもやって生きていける、立派な大人の女性です。ちーちゃん、一緒に暮らせて楽しかったよ。大好きだったよ、ちーちゃん。           純子』

私は、初めて純ちゃんの私への深い思いを知った。純ちゃん、ごめんね。
私、純ちゃんの事誤解していて。
純ちゃん、一人で胸に抱えているの苦しかったでしょう?なんて話してくれなかったの?!そうしたら、私が少しは話し相手になって、純ちゃんにご飯作ってあげたりしたのに。
純ちゃん、大好きだよ。
気がつくと力を込めて歯を食いしばっていた。ポタリ、と手紙に落ちたのが自分の涙だと知ると、せき止められてた川のように、涙が溢れて後悔で胸が締めつけられた。
私はうわ言みたいに、ただ、純ちゃん、純ちゃんと言いながら涙があふれるのに任せていた。
ごめんね、ごめんね、純ちゃん!
そして、ありがとう。私は手紙を握りしめてベッドに顔を伏せていつまでも泣いていた。優くて大好きだった純ちゃんの顔が浮ぶ。



5/30/2023, 2:49:54 AM