久須

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 窓から穏やかな日差しが射し込む午後ニ時半の夢の中にいた。
 夢の中の自室は、現実のものとは程遠い。少しくすんだ白い壁紙。飴色の床板と家具。大きな窓の傍らに、優雅と呼ぶに相応しい椅子。部屋全体が、時間が経過すること自体に憧憬を抱いている人間の夢を反映させているのだ。
 博の本来の自室は、新卒の社会人が住む典型的な1Kのアパートだ。窓こそ南向きの大きなものだが、壁紙は端の方が少し剥がれかけており、床は前の入居者がつけたと思われる家具を引き摺った黒い跡が残っている。優雅な椅子を置く場所などない。なにより、家賃八万円のアパートに時間が深まることに魅力を増していく憧れの家具を置いても不釣り合いだろう。
 だから、憧れの家具は夢の中に置いている。夜、眠りに就くときはもちろん、会社の昼休みに仮眠を取っているときでも、休日にうたた寝しているときでも、博は自分の意思で憧憬が詰まったこの部屋に訪れることができる。
 意識して見たい夢を見るということは難しいらしい。夢は脳が記憶や情報を整理するために発生するものだという一説がある。
 博は物心ついたときから見たい夢を見ることができた。幼い頃は大好きなヒーローになって敵をやっつけて母親に褒められる夢。少し成長して、何をやっても小学校の同級生に褒められる夢。中学生のときには、好きなグラビアアイドルが水着で迫ってくる夢。そして、高校、大学、社会人となるにつれて、自力では絶対に住めることはない古ぼけているからそこ魅力的な洋室の夢となっていった。
 博にとって、夢は現実の情報を整理するものではなく、現実では有り得ない物事を叶えるものだった。
 言ってしまえば、夢は逃げ場なのだ。唯一の特技は逃げ場を作ること。この特技は、博自身を慰めるものではあったが、特技が逃げ場を作ることしかないが故に、現実は何ひとつ上手くいったことがない。何事も上手くいかないから夢の逃げ場を作る。夢の逃げ場を作ることにしか長けていないから、何事も上手くいかない。どちらが先なのかと考えるだけ馬鹿らしいほどの不毛さだった。
 窓からは暖かな陽射し。午後ニ時半という時刻は、仕事をしているとちょうど集中力が切れる頃合い。今日の仕事の失敗を慰めるために作り出した夢だ。ここに挽きたてのコーヒー――そんなものは自分で淹れたことなどないのに――があれば最高だ。
 最高を得るために、博は椅子の傍らに脚の短い机を作り出し、その上に芳ばしいコーヒーが注がれた杯を置く。
 ドラマやCMの影響を強く受けた部屋の中に博はいる。現実では有り得ない、まさに空想と呼ぶに相応しい穏やかな午後だ。
 博は夢を現実にしようと思ったことはない。夢は初めから叶わないからこそ夢なのだ。
 幼い頃に大好きだったヒーローになって褒められるどころか、ヒーローの玩具を買ってもらったこともない。ヒーローごっこをすれば母親に下らないと笑われた。
 小学校ではいつも一緒に遊ぶグループの中にはいたけれど、誰の家にも遊びに行ったことがない。
 中学生では好きなグラビアアイドルが表紙を飾っていた少年漫画誌をコンビニで買っているのを同級生に見られ、いつの間にか学年中に「コンビニでエロ本を買っていたらしい」と噂されるようになった。
 現実を裏返すことなど不可能だ。本人の努力だけで周囲の環境を変えることはできない。
 博にとって、現実を変える意志を抱くよりも、夢という逃げ場を創る意思を高めることの方が簡単だった。
 だから、博を包み込むこの夢は博自身の努力の成果なのだ。
 そう思わなければ堪えられなかった。唯一の特技すら失ってしまうのだから。

1/23/2023, 3:53:48 PM