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七夕

皆が願いを込めて、星にお願いする日。
そんな日に、僕は彼を連れて山に来ていた。人気のない、静寂だけが辺りを包み込む、そんな場所に。

そこから少し麓を見下ろしてみると、ちら、ちらと沢山の小さな灯りが、まるで星々のように煌めいている。きっと縁日の提灯の灯りなのだろう。

麓の縁日では今頃、皆が短冊に願いを込めて文字を綴り、笹に吊るしているに違いない。それぞれが、それぞれの願いを込めて。

だが、そんな事はどうでもいい。今は彼と2人の時間を楽しみたい。そう思いながら、そろ、と後ろを振り返る。
彼に無理を言って、無茶をさせてしまった自覚がある。彼は怒っていないだろうか、それに──体に支障が出ていないだろうか。

そう、うだうだと考え目線が下へ下へと沈んでいると彼の微かな笑い声が、静寂で満ちていた空間に響いた。

彼は、そっと僕へと近ずいて、僕の手を取って。心底嬉しそうな顔で、しかしどこか悲しげに微笑みながら、言った。

『最後に、綺麗な思い出を作ってくれて、ありがとう』


嫌だ。最後だなんて、そんな事言わないで。
そんなに、悲しい顔をしないで。
これからも、キミは───



彼は、病気だった。余命は残り僅か1ヶ月。僕はそんな事信じられなかった。……いや、信じたくなかった。
彼が大好きだった。他の誰よりも何よりも。
彼の為ならば、命でもなんでも捧げてやろうとさえ思えていた。
それなのに、もうほんの1ヶ月で会う事ができなくなる。
そう考えると、いてもたってもいられなかった。これまで、2人だけの思い出なんてなかったから。だから、口に出してしまった。

『ねぇ、七夕にさ。病院から抜け出して、星を見ない?』

断られると思っていた。馬鹿だなぁ、と笑い飛ばしてくれると思っていた。それなのに

『……いいね、それ。行こう!』

……それなのに、彼は。軽く了承してしまった。
頭では分かっていた。彼を病院から連れ出すなんて、あってはならない。でもその時。やっぱりやめよう、冗談だった、と、言えなかった。
ただただ、嬉しかった。2人だけの思い出を作る事が。

だが、今になって後悔している。
もしこれで彼の寿命がより縮んでしまっていたら?
もし帰り道で、容態が急変したら?
ありとあらゆる不安が浮かんで、止まらなかった。

しかし彼は、そんな僕の不安を欠片も気にする様子はなく、軽く僕の手を握りながらふわりと笑って、語り続ける。

ひとしきり話したかと思えば、彼の手が少し緩んで、問いが投げかけられた。

『ね、お願い事……なーぁに?』

まるでいたずらっ子のような、少し悪い笑みを浮かべて、彼は問うた。

お願い、お願い事?……そんなの、1つに決まってる。

僕は、僕の…お願い事は──


『きみと、いっしょに…これからも生きたい…っ』


酷く震えた、情けない声だった。
彼は、僕のお願いを聞いて、困ったように微笑んだ。

『いっしょ……ふふ、うん。僕も生きたい。君と、一緒に生きていたい。……でも、さ。そんなお願い事しちゃ、織姫と彦星が可哀想だよ、ばぁか』

そう言って、ぎゅっと僕を抱きしめたかと思うと、彼は小さな声で言った。


『……しにたくない……こわいよ、いやだ……』

何時も明るく、周りを照らすような声を発する彼からは想像もできないような弱々しい声に、僕は驚いた。
死なないで、そう言っても寿命は変わりはしない。分かってる。分かっているけれど──

『しなないで……お願い…』

今日は七夕、皆が願いを込めて、星にお願いをする日。


そんな日ならば、願ったっていいじゃないか。


織姫様、彦星様。お願いです。短冊に願いを吊るすことは出来なかったけれど。どうか、どうか──


この、心優しい彼を……殺さないでください。彼と、共に生きたいのです。だから、お願いします。






人気のない山奥で、互いに祈りを星に捧げる2人の姿を、星々は優しく見守り照らし続けていた。

まだ、夜は長い。彼等の強い願いはきっとこの夜、愛し合う星に届くことだろう。

7/7/2024, 11:06:17 AM