見る者、見られる者(テーマ 澄んだ瞳)
物心ついた頃、あるいはつく前。
その子の瞳は純粋で、見るものすべてが不思議に満ちていた。
おもちゃはもちろん、机も椅子も文具もお菓子も、両親も、すべてが不思議。
周囲の大人は、その子の澄んだ瞳を、子どもらしい無邪気な表情だと感じ取っていた。
ただし、その瞳の向こう側にある脳で、本当は何を感じているのかは、周囲には当然伝わらなかった。
エレメンタリースクールに入り、彼は澄んだ瞳のまま、やはり不思議な世界を見続けた。
知らないことを教えてくれる『先生』という人がいたので、知らないことをどんどん聞いた。
最初は機嫌良く答えてくれていた『先生』は、段々とうんざりしてきて、嫌な顔を隠そうとしなくなり、最終的にはその子を相手にしなくなった。
それでも質問を繰り返すその子を、スクールはついに退学にしてしまった。
学校を退学しても、その子の瞳に映る世界が不思議であることは変わらなかった。
その子は、疑問を解消するために実験を繰り返し、ずっと何かを研究する生活になった。
周囲は、エレメンタリースクールを退学になった変わり者として彼を見るようになった。
時が経ち、彼はいくつかの発明をして、発明家として世に知られるようになった。
周囲は彼の瞳を、あれが人とは異なることをする顔つきだと噂した。
さらに時が経ち、彼は他の学者とトラブルになったり、裁判で争ったりするようになった。
争った相手は、これだからエレメンタリースクールも出ていない奴は、と、彼の瞳を低学歴者の証のように見ていた。
さらに大きく時が過ぎ、彼は最後の研究をしていた。
最後の研究は、幽霊と話ができる電話機であった。
現代の私たちは、さしもの発明王も、歳で耄碌したかと思ってしまう。
しかし、しかしである。
彼自身は、幼い頃から変わらず、自分の周囲の世界が不思議で、その世界を実験して、新しいことを知って、何かを作る。
それをただ繰り返してきただけだった。
変わったのは、周囲であった。
彼の瞳は変わっていない。
7/31/2024, 9:51:14 AM