「 やさしくしないで 」
夜の空気は澄んでいて、星がやけに綺麗に見えた。
冷たい風が頬を撫でるが、不思議と寒くはなかった。
それは、隣に吹雪がいるからだろうか。
私は静かに彼を見上げた。
月の光に照らされた吹雪は、いつものように穏やかな表情をしている。
だが、その目は私を捉えて離さない。
「……我が君、疲れているのでは?」
そう言いながら、吹雪はそっと手を伸ばした。
その指先が、私の頬に触れる。
ひんやりとした感触が肌に伝わり、私は思わず身をすくませた。
「……別に、疲れてなんか……」
「嘘です」
吹雪の声は静かだったが、確信に満ちていた。
言い逃れはできないと悟り、私は小さくため息をつく。
「……少し、考え事をしてただけだ」
「何を?」
「君のこと……とか」
ぽつりと零れた言葉に、吹雪の眉がわずかに動く。
珍しく、彼が戸惑っているのが分かった。
驚いているのは私も同じだ。
まさか、こんなことを口にするとは思わなかった。
「自分の事……ですか?」
「……ああ」
吹雪の指が、そっと私の髪を撫でる。
優しく、まるで大切なものを扱うように。
その手つきに、心がざわめいた。
「……吹雪」
「はい」
「…優しくしないでくれ」
思わずそう口にすると、吹雪の手が止まる。
彼は静かに私を見つめ、ゆっくりと首を傾げた。
「どうして、ですか?」
「……そんなに優しくされたら、どうしたらいいか分からなくなる」
「分からなくなっても、いいのでは?」
「よくない」
少し強く言うと、吹雪の表情が僅かに曇った。そんな顔をされると、余計に胸が痛む。
私は拳をぎゅっと握りしめた。
「吹雪が優しいと……期待してしまう」
「……何を、ですか?」
「吹雪が、ずっと傍にいてくれるって……」
言葉を紡ぐたびに、胸が締めつけられる。
君は私の側にいると言った、忠誠を誓った。でも、それが永遠に続く保証なんてどこにもない。だから、優しくされると怖くなる。
その優しさに慣れてしまったら――
もし、失ったとき、私はどうすればいいのか、分からなくなる。
吹雪は何も言わなかった。
ただ、そっと私を見つめていた。
夜風が吹き抜ける。
私は無意識に、吹雪の袖を掴んでいた。
「……私には、君が必要だ」
正直な気持ちだった。吹雪の存在が、どれほど私を支えているか分からないほどに。
「でも、甘えすぎるのはよくない。私は……私で、皆の主君として、強くなければならないんだ」
「……我が君」
吹雪はそっと私の手を取った。
優しく包み込むように。
我が君
「それでも、自分は貴方に優しくします」
静かな声。
けれど、その言葉には揺るぎがなかった。
「それが、自分の望みです」
「……吹雪」
「我が君が、自分の優しさを怖いと思うなら……どうか、少しずつ慣れてください」
慣れる。
この優しさに。
この安心感に。
……君が、ずっと傍にいることに。
そんな未来があってもいいのだろうか。
吹雪の手は、やはり温かかった。
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その夜、私は長い間眠れなかった。
吹雪は変わらず私の傍にいて、少し離れた場所で私を見守るように佇んでいた。視線を感じるたびに、心が落ち着かなくなる。
私は布団の上で身じろぎし、天井を見つめる。
優しくしないでくれ、なんて言ったけど
本当は、吹雪に優しくされるのが嫌なわけじゃない。
むしろ、心のどこかで求めている。
それが分かっているからこそ、怖いんだ。
私は、吹雪にどこまで甘えていいのか分からない。主君として、誇りを持って立たなければならないのに、彼の前ではその誇りすら揺らいでしまう。
「……馬鹿みたいだなぁ」
独り言のように呟くと、ふと、吹雪が近づいてきた気配がした。
「我が君?」
「……何でもない」
「眠れませんか?」
「……うん」
吹雪は黙っていた。
けれど、次の瞬間、そっと布団の端を引く音がした。
「……?」
驚いて横を見ると、吹雪が私のすぐ隣に座っていた。
「少し、目を閉じてください」
言われるままに目を閉じると、吹雪の手が私の髪を優しく撫でる。
「……また優しくしてる」
「はい」
迷いのない声に、私は苦笑するしかなかった。
「……本当に、ずるいやつだ」
それでも、吹雪の手の温もりは心地よくて、私は少しずつ意識を手放していった。
優しくしないでくれ、と言ったのに。
結局、私はこうして吹雪の優しさに甘えてしまう。
――少しずつ、慣れていけばいいのだろうか。
吹雪の手の温もりを感じながら、そんなことを考えていた。
2/3/2025, 9:57:20 PM