祈りでパンは殖えるのか。
灰と煤に埋もれたバイブルの、革張りの表紙に刻まれた金の刺繍糸を眺めて、ふと、そんな疑問が湧いた。
ステンドグラスの破片が、薄高く積もった煤の山のあちらこちらで、ちかちかと光っている。
灰に塗れた地面のところどころで、火がしつこく、ちろちろと燃えていた。
教会の裏は小麦畑だったのだ。
さそがし火も広がりやすかったに違いない。
真鍮の壁掛け十字架だけが、正常な形を保ったまま、灰に埋もれかけていた。
主には祈りを。
主に心を捧げれば、奇跡が我らを救い賜う。
そんな話をしていたのは、司教様であっただろうか。
銀の十字のペンダントが、首元で鈍く光っている。
人生で初めて貰った贈り物。
司教様が、私がここに住まう時に贈ってくれたもの。
灰が薄高く積み上がり、風に吹かれてぱらぱらと空気の中を舞っていた。
人の気配はしない。
司教様の細長い痩身も、毎日熱心に祈り続ける目の悪い婆様も、子犬のような瞳でなんでも手伝いたがるあの小さな女の子も。
気配を感じない。
足がききい、と軋んだ。
あの逃げていった奴らはなんと言っていただろうか。
奇跡だ、と言っていなかったか。
異教徒じみた厄介なアイツらの拠点を見つけられたのは、神の起こした奇跡だ、と。
ああ、主よ。
私たちは祈りを欠かさなかったではないですか。
主は、バイブルと司教様のお言葉によれば、敬虔な信者を救うため、様々な奇跡を起こしたのではないのですか。
私をこの教会に辿り着かせるという奇跡を、あの女の子と司教様を出会わせるという奇跡を、あの婆様に希望を再び持たせるという奇跡を起こしてくださったのではないですか。
そして、奴らのために、ここを見つけさせるという奇跡を起こしたではないですか。
ですから、奇跡をもう一度。
奇跡をもう一度、起こしてくださっても良いではないですか。私のために。あの教会のために。
奇跡を…。
銀の十字架を握りしめながら、胸の内で呟く。
司教様は、主を恨んではならない、主の施しに、奇跡に期待してはならない、と教えていたのを聞いた覚えがあったが、そんなことはもうどうでも良かった。
私は司教様を信じられないほど悲惨な人生は送ってこなかったが、司教様のお言葉を無条件に信じられるほど幸せな生活もまた、送ってきていなかった。
主よ。
奇跡を起こしてください、主よ。
薄灰色の風が舞っている。
遠くでちろちろと火が燃えている。
人の気配は、しない。
握りしめた手が、痛かった。
空は変わらずに青い。
乾いた空気が、灰と煤と火を増やし続けている。
張り付いた灰で、喉がヒリヒリと痛んだ。
どこにも宛はなかったが、どこかに行かなければいけない気がした。
教会は変わらず、無惨な死に様を太陽の下に晒していた。
10/2/2024, 2:26:24 PM