薄墨

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その日、世界は灰色だった。
垂直に地面目掛けて落下してくる水滴が、私たちの傷だらけのボディにぶつかって、音もなく垂れていた。

くたびれて帰還した機兵たちの、長い列が伸びていた。
腱のゴムパーツが断絶した左足を引き摺りながら、ボディの半身が無惨に抉れた部下の、まだ若い機体を揺すり上げて、列に向かって一歩を踏み出した。
神経パーツを断絶されて、だらりと垂れ下がるばかりの部下の爪先が、ぬかるみの泥をふんだんに掬いとった。
泥が跳ねた。

足と部下を引き摺って、列の末尾に並んだ。
前に並んでいるのは、友人だった。
入隊の時期が一緒の同期で、ボディの機種や分類された兵種こそ違ったが、基本研修の時期は同じで、人工脳のバージョンも同じ。
前の作戦で同じ部隊だった。
よう、友人はまるで食堂で会った時のような明るさで、かろうじて破損していない方の片手を挙げた。

よう、私も返した。

「ひどい雨だな」友人はそう言った。
「いや、今日は風がない。まだマシだと思う」
列が一歩進んだ。
「風はないが、雨粒が冷たいじゃないか。これでは体が冷えてしまう」
「…私たちには、温冷感神経パーツはつけられていない。気温に操作されずに動ける」
「そりゃ、理屈で言えばそうだけどさ」友人は口を尖らせながら続けた。
「さすが、現場指揮兵に分類された脳は規格外だな、いろいろと」
列がまた少し進んだ。

友人のこの軽い皮肉は、私たちにとっては挨拶みたいなものだ。
だから私も、まだ意識の戻らない、ずり落ちてきた部下を揺すり上げて前に進みながら、言い返す。
「なんだ、また戦友だの歩兵だの捕虜だのが風邪を引くのを心配してたのか?…お前、やっぱり装甲の下では、血液が涙でも流れてるんじゃないか」
常々、私は半分本気でそう思っていた。だから私は、密かにこの同期のことを“友人”と呼んでいた。
友人はいつものようにちょっと笑って、何も言わなかった。
また列が一歩ずれた。

私たちは使い捨ての兵だ。
人の細胞から作られた人工脳を、屑みたいなスクラップとプラスチックで組み上げた、使い捨ての兵。
人類が、できるだけ被害少なく、倫理的かつ人道的な戦争をするために生み出された、人類の駒。
それが機兵であり、私たちだ。

私たちは、使い捨てで現場の即戦力を想定されているため、安価に作られている。
ボディはそれこそ現場の小さな基地で修理できるほど、粗雑な素材でシンプルに。
知能も、司令官や将校クラスの機兵に積み込まれる人工知能ではなく、人工脳があてがわれる。
人工知能よりも人工脳の方が、学習をするのが早いからだ。人工脳は人工知能に比べるとコストも低い。おまけに、意識を持つため、現場の人間や民間人にも受け入れやすいという利点まである。

私たちは帰還すれば、まず基地の工場に向かう。
そして、選別を受ける。
そこでは、負傷の程度と戦況と物資の状況を加味して、3つのグループに分別される。
異常なし、修理、処分の3つに。
異常なしの兵は兵舎で休む。修理の兵は工場で修理。そして、修理すらできないほど大破した兵は処分。
バラバラになって、他の機兵や兵器を治す糧、或いは新しい機兵を生み出す糧になる。
そして、夜が明けて、次の出撃命令が下る。

この長い長い列は、その選別のための列だった。

列は少しずつ、確実に進んでいく。
私は、自分の右肩に体を預け、引き摺られるままである部下を見やる。頭部パーツが力無く垂れ下がり、ほのかに人の体温ほどに保たれるはずの人工脳収納部が、死体が握りしめたままの銃のように冷たくなっている。
…おそらく処分だろう。部下、いや、後輩は。

目の前の友人を見やる。
右腕パーツの破損、左腕パーツの大破、頭部パーツに致命的なヒビ、腹部パーツの中破…。
…友人も処分だろう。
今の戦況は決して芳しくなく、だからこそこの列がべらぼうに長いのだ。

「そんな顔するなよ」
ぽつんと、友人が言った。
私がどんな顔をしたというのだろうか。
「…私の表情モニターは残念ながら破損している。外部から私の意識は読み取れない」
友人はまた、何も言わずに笑った。
列がまた一歩進んだ。

「…お前はさ、修理だろうな。破損が軽微だから」
「…ああ、おかげさまでな」
私は、ぐったりと手応えのない部下の体を、軽くゆすってみせた。
友人は、良い奴だな、いつかご一緒したかったもんだ、と目を細めた。
列が進んだ。

「…お前の負傷は、そっちの腱パーツと表情モニターとそこに付随してた片目の視覚パーツくらいだろ?それくらいなら治るよ。視覚パーツは無理だろうけど」
そう言って友人は笑った。
「上手くやれよ。お前は、生き残れよ」

なんだそれ、私から掠れた声が漏れた。
友人は、聞こえないフリで無視を決め込んだ。
そういう惚け方をする時に、明後日の方向を向くのが友人の癖だ。付き合いが長いから知っている。

ずるい、と思った。

工兵がすぐそこまで歩いてきていた。
修理に分類する兵が多くて列が進みにくいから、選別だけ先にしてしまって、処分と異常なしを列から外すつもりなのだろう。

「じゃあ、さよならだ」
部下のもう一方の肩に、腕を差し入れながら、友人は言った。
「元気でやれよ」
「…あ、」
急に、肩が軽くなった。友人が、部下を肩で担いで、その手をこちらに軽く挙げてみせた。

「…ああ、さよならだな……部下を頼む」私の声はひどく弱々しかった。

友人は少し寂しそうに笑った。

それが、私の大切な人たちとの、最期の別れ際になった。

9/28/2024, 2:49:06 PM