月が綺麗ですね、なんて、今となっては割とありふれてしまった言葉だ。夏目漱石がI love you.をそう訳したという有名なエピソードは、しかしその出典は不明らしい。そんな曖昧な言葉に人々は納得し、感嘆し、愛を託しているのかと思うと少し滑稽に見えてくる。
ひねくれた僕がそんな話をしていると、先輩が「じゃあ君ならなんて言う?」と無邪気に尋ねた。ひねくれた僕に愛の言葉なんて求めないでほしい。そう思いながらも反射的に考える。
「……世界で一番、幸せになってください」
「自分がするんじゃなくて、ただ相手がそうあることを望むの? 健気だね」
「そんなんじゃないですよ」
幸せになってほしい。世界で一番、誰よりもずっと。この世に存在する何よりも。この世のすべてはあなたのためのもの。あなたの努力も、願いも、取り巻く環境も。あなたが幸せにしたいと望むものすら、ただあなた自身であってほしい。僕はあなた以外どうだっていい。あなた以外の幸せなんてなくていい。こんなのが愛であってたまるか。
だけど先輩は美しく笑って、「君にそう想われる人は確かに幸せ者だね」と言う。そんなことだから僕のI love you.は、最後まで発することもできずに、暗くて深い穴の中に向けるしかないのだ。
1/29/2026, 2:50:58 PM