シッピツジュンヒ

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透明と聞くと。「存在感がない。」事をだと捉えたりする。
「存在感がない。」=人に見えていない。透明な自分。
のような。

存在といえば、尾崎豊『存在』という歌がある。
にぎやかな街の中でさみしさが見つめていて、小さくかがめて守らなければ存在する見失うと歌っている。

この歌を聞いた時。
にぎやかな街には。きらびやかに見える周りから醸し出される重圧や不安やさみしさがあって。自分に力がなければ、人に評価されない厳しさが社会にはあるような気がしてならなかった。十代は社会の荒波で生きていけるのか不安になった。

そして私は社会では。透明な気がしてならなかった。

そう思う根拠は。私のやってきた事が周りからすると全て「意外」と言われるからだ。

そのルックスで、落語を聞く。エレキギターを弾く。スケートはまあまあ滑れる。全て「意外」らしい。私の存在感は周りからすると見えにくいようだ。不透明だという事だ。

「私は○○だ。」と確固たる信念を持ち、誰も「私らしさ」が見える、わかると思えるようにさせた時。初めて私は透明から卒業できるのだと思う。

のらりくらり生きる自分探しの旅を終わりにする時は近づいている。

5/21/2024, 11:08:37 AM