この世を生きる人間みんなオタクなんです。
大事なことなので沢山言います。
この世を生きる人間みんなオタクなんです。
「え待ってそれ新ビジュのグッズじゃん!」
「そうなの!昨日買ったの!」
「いいなぁー!そうだ!これ頼まれてた絵!」
「待ってました!これほんとにお気に入りのビジュなんだー!ありがとうまじ尊い!」
これは私と友達の何の変哲もない会話。
だけどクラスの人間はニヤニヤしながらこっちを見てくる。
「やば笑笑」
「無理死ぬ笑笑」
あの人たちには私たちがオタクに見えているのだろう。もちろんそうだ。否定はしない。私は自他ともに認めるオタク。だけど別に恥ずかしくともなんともない。だって好きな物を好きだって言うことの何がおかしいの?もちろんTPOとかは弁えてるし、なんならあちらの方が普段周りに迷惑をかけているのでは?だからと言って別になにかアクションを起こすつもりはない。
だってあの人たちもオタクですもの。
人間生きてれば感情は自然と形成されるもの。その感情は種々雑多で自分だけにしかないものとか他の人と共有できるものまで色々。だからそこに「好き」という感情があるのは不自然ではない。そしてその「好き」こそがオタクの種だと私は思う。換言すると「好き=オタク」なのだ。
人間大なり小なり好きなものがある。私たちを笑っていたあの人たちもメイクとかファッションとかに敏感じゃん。毎日のように新しいコスメ買って見せあってるじゃん。それはもうオタクと言わずなんと言えばいいのですか?
スマホの画面の俳優を見せあってキャーキャーいうあの子たちも
授業が終わったのにも関わらず永遠とよく分からない横文字の法則について熱弁する化学の先生も
ホームルームが終わって光の速さで着替えて部活に向かうあの子も
分厚い本とばっかり顔を見合せているあの子も
いつも同じ時間に同じ道でランニングしているあの人も
みんなみんなオタクなんです。
みんな何がが好きで何かに熱中して生きているんです。だから生きられているんです。嫌なことがあっても次の日にはケロッとしてられるんです。
先程私たちのことを笑っていたあの人たちですがきっと自分たちがオタクだって認めたくないんでしょう。「オタク」っていう言葉に否定的なイメージしか抱いてないばかりにプライドが邪魔して認めることが出来なくなったんでしょう。まぁ、何も認めることが正解って訳でもないですよね。まず「好き=オタク」っていうのも持論でしかない訳ですから。
だけど、人の好きを価値観を嘲笑するのはまた話が違ってきます。なんにもわかってないならもっとです。無意識に自分を上げるために他人を下げているんだと思います。その原因はやっぱりプライドかなって。自分を大切にする、誇りに思うのは素晴らしいことです。だけどそれは時に足枷になってしまいます。自分も他人も傷つけてしまいます。
話が脱線してしまった感じですが私が言いたいことは
この世を生きる人間みんなオタクなんです。
みんな「好き」を持っているんです。
もしいない人がいるのなら私の元に来てください。
この世のありとあらゆるものを布教してあげます。
人間「好き」があれば生きる上でのちょっとしたエンジンになると思います。
みんなが「好き」を極めればきっと不景気なこの世の中もちょっとだけ明るくなるはずです。
あと、あなたの「好き」が馬鹿にされることがあるかもしれない。だけど簡単に折れないで。そいつらの前では強気でいて、誰もいない時に悲しんで、「好き」に励まされてまた明るく生きて下さい。
耳タコかもしれませんが最後に
この世を生きる人間みんなオタクなんです。
2/17/2024, 1:44:28 PM