sairo

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雨上がりの午後。空に虹が架かったのを認めて、学校の裏山へと駆け出した。
虹のはじまりを探す遊び。
誰が言い始めたのか。いつからか流行っていた遊び。数年前のあの日も、友人たちは虹のはじまりを探して裏山へ遊びに行ったのだという。そしてそのまま、誰一人帰っては来なかった。
その日は、熱を出してしまい遊びに行けなかった。数日後、熱が下がり学校に行った時に話を聞いた。
今も帰らない友人たち。誰もが皆の存在を忘れていく中で、自分だけは忘れず覚えている。

――虹のはじまりには宝がある。見つけてもらうのを待ってるんだ。

誰かが言った言葉。宝を求めて、虹の始まりを探しに行った友人たち。
今も、見つけてもらうのを待っているのかもしれない。
そう思うと、心が騒めき落ち着かない。見つけなければという焦燥感に胸が苦しくなる。
だから虹が出る度、友人たちを探して裏山へ向かう。

あれからずっと、虹のはじまりを探している。



何度も足を運んだ裏山は、今日は何故だかひっそりと静まりかえっていた。
虹を一瞥し、辺りを見渡しながら進んでいく。
秘密基地を作った広場を抜け、奥へと向かう。木登りを競い、木の実を探して探索をした裏山で、知らない場所などはない。
木々の合間を抜け、ただ虹を目指す。思い起こされる過去の楽しかった日々に、唇を噛みしめた。
早く行かなければ。今度こそ見つけなければ。
見上げる虹は、まだ鮮明な輪郭を保ったままだ。
今日は何かが違う。
静けさ。澄んだ空気。光の加減。
木々の合間から、七色に煌めく光が差し込んでいた。

――虹の始まりで、待っている。

鼓動が跳ねる。ようやく会える期待に、知らず駆け出していた。
光を追って向かう木々の向こう。

山道の先に、見覚えのない鳥居が立っていた。



鳥居を潜ると、空気が変わった。
微かに水音がする。木漏れ日のように降り注ぐ七色の光が、誘うように煌めいた。
水音に向かい進んだ一番奥に、小さな淵があった。
その前に、誰かが静かに立っている。白い着物を着た少年。まるで死に装束のようなその姿に、思わず足を止めた。

「やっと、来てくれた」

振り返る少年に、見覚えはない。けれども何故か懐かしさを覚え、胸が苦しくなる。

「虹の……はじまり?」
「そう。でもまだ不完全」

柔らかく微笑んで、少年は手を差し伸べた。
白く、細い腕。光を反射して鱗が浮かび、息を呑んだ。

「おいで。君は僕の霓《げい》だ。君がいなければ虹にはなれない」

穏やかでありながら、有無を言わせぬその響き。
行かなければという衝動と、行ってしまえばもう戻れない恐怖に、立ち尽くすことしかできない。

「私……私、友達を探して……だから……」
「その友達とは誰のこと?」

問われて、愕然とした。

「どんな容姿をしているの?名前は?」

口を閉ざし、首を振る。
誰一人、思い出せなかった。顔も、声も、名前すらも何もかも。
じわりと涙が浮かぶ。何かひとつでもと思い出そうとすればするほど、何も思い出せなくなっていくのが怖ろしい。
友人のことだけではない。住んでいた場所のこと。家族のこと。自分のことも思い出せない。
あるのはただ、目の前の少年に対する懐かしさと、満たされない欠落だけ。

「ちゃんと全部消化したみたいだね……これで準備は整った」

動けない自分の側に少年は歩み寄り、手を取った。涙を拭われ、目を合わせられる。
蛇のような細い瞳孔が、慈しむように歪んだ。

「さあ、食後の微睡みから、そろそろ目覚めておいで?」

歌うような囁きに、ゆっくりと瞼が閉じていく。力が抜けて、少年に凭れながら意識が落ちていく。

「まったく。一人で捧げられた時にはどうしようかと思ったけど、君が迷い込んできてくれてよかった……これでようやく虹に成れる」

長かった、と喜びを露わにする少年の声が聞こえた。
その声に重なるようにして、朧気に人影が浮かぶ。
こちらに手を伸ばす誰か。逃げてという声はもう届かない。
意識が落ちる。人影が消えていく。
そうして何もかもが暗闇に消えて、自分すらもなくして冷たい腕の中へ身を委ねた。



小さく気泡が上がる。
虚ろに漂いながら気泡を見上げていれば、背後から伸びた腕に引き寄せられる。
虹色に煌めく鱗に覆われた腕。着物の白もまた七色に揺らいでいる。

「おはよう。しっかりと馴染んだようだね」

直接鼓膜を震わせる、穏やかな声音。
彼の指先が腕を伝って手を取った。彼と同じように浮かぶ虹色の鱗をなぞっていく。
周囲で煌めく七色の光が、囲うように集まってくる。揺らぐふたつの影をひとつに溶かし、それは大きな龍の姿へと形を変える。

「行こうか。恵みの雨を降らし、約束の虹を架けに」

その言葉に振り返る。彼を見上げて小さく頷いた。
こぽりと気泡が上がる。言葉はすべて気泡に変わり、大地を求めて水面へ上がっていく。
水面から光が差し込んだ。七色に煌めく光は階《きざはし》となって、向かうべき道を指し示す。
ざわり、と体中の鱗が揺れる。彼に寄り添い、階を辿って。
彼と二人。天へと舞い上がる。
柔らかな雨を呼び。過ぎる後には、虹霓を残して。

どこまでも高く、昇っていく。



20250728 『虹のはじまりを探して』

7/30/2025, 4:59:52 AM