テーマ『過ぎ去った日々』
 子供の私にとって、親は世界の全てだった。
 
 私の世界は、親が喜べば色とりどりに華やいだ。
 同時に親の言葉で簡単に傷ついて、酷く荒んで壊れてしまう。
 
 親と、自分しかいない。恐ろしく不安定で、閉鎖的な世界。
 それが、かつての私の世界だった。
 ある時、一人のよそ者が迷い込んできた。
 そいつはただそばにいるだけで、私を批判したり評価したりしなかった。
 何故、私なんかのそばにいるのか。尋ねると、その人はなんてこと無いふうにこう言った。
 「ここに居たいからいるんだよ」
 『ここに居たい』。その言葉に、私は強く衝撃を受けた。
 私は、生まれてから今まで「ここに居たい」と思うことがなかったから。
 私の世界は、最初から準備されたものだった。
 私と、親だけで完結した世界。
 それ以外の世界を、私はなにも知らなかった。
 
 よそ者の存在は、私の世界に小さな亀裂を作った。
 毎日、色んな話をした。
 親に注がれていた全ての意識が、次第に他のところへ向かうようになった。
 卵の殻が割れるように、徐々に世界のひびが大きくなっていく。
 
 しばらく経ったある日。ついに世界が壊れた。
 親と私しかいないこの世界から、私は飛び立つ決意をした。
 閉ざされた殻が粉々になって、空中で泡のように消えていく。
 私の背中には、いつの間にか小さな翼が生えていた。
 長い年月をかけて、手足は力強く育っている。
 思い切って地面を蹴った。私の体は、一気に空へと飛び立った。
 どんどん高度を上げて、これまで住んでいた世界を見渡した。
 親が、これまで世界の全てだと思っていたものが。だんだん小さく、小さくなっていく。
 「元気でいろよ」
 親が最後にくれた言葉だった。
 遠く見えなくなっていく世界に、私は笑顔で手を振った。
 かつての世界を飛び出した私は、新しい世界を見渡した。
 殻の外には、私の他にもたくさんの人がいる。
 私の世界に侵入してきた『よそ者』が、今は関係性を変えて隣にいた。
 「さぁ、どこへ飛んでいこうか」
 「好きなように飛んでみなよ。どこへだって、一緒にいけば楽しいよ」
 そう笑顔で言ってくれる君のことを、私はその日初めて「友」と呼んだ。
 かつて卵から飛び立った私達は。今日もどこかで、今を精一杯に生きている。
3/9/2023, 2:00:08 PM