現実逃避か。さて、「どの現実」から逃避?
これまでに長らく、「現実とはコレ。この現実ひとつだけ。あとは妄想か幻妄。くだらないユメ見んのもいいかげんにしなさい、現実は甘くないんだからね」という「観」が引き続いてきた。“現実は全員がもれなく同一に認識し、決して揺るがぬ事実であり真実”…という考えだ。
ところが、量子を扱う科学者達が、こんなことを言い出した。
「なんか実験(観測)する奴が変わると結果(観測される事象展開)も変わるぞ。公正な実験でだ」と。
紛う方なきこの現実でのことだ。
いわゆるところの「現実逃避」は私もよくやっていた。よくやっていたからわかる。逃避しても根本課題がなくならない。それどころかクルシイ時間期間がダラダラと間延びするのだ。私はドMじゃないから、早く楽になりたい。早く楽になるには、課題に取っ組んでクリアするしかない。正面突破だッ!かかって来いやゴルァー!!
もちろん、「今はそれムリ。戦略的撤退するんだもん」という選択が最良のときもある。そんなとき、とりあえず逃げることを実行できたなら「よくやった自分。自分で自分を守ることができたぞ」と、自分を褒めて労るべきだ。それはしばしば、“生きるためにできること”を尽くす行動に他ならないからだ。「百聞一計逃げるに如かず」とかいう文言を何かで見たが、これくらいしたたかでもよきかな、だ。
ところで、「現実逃避(課題の先延ばし)ができる現実という場所」は、どうやら「この現実」だけらしい。近くにある「他の現実」では“問答無用の容赦なし”の傾向があるようにも見える。この現実は「まだ優しいところ」みたいだ。
2/27/2024, 12:58:30 PM