結露した窓硝子にいつまでも寄りかかっていて寒くはないのだろうか。ご飯ぐらい椅子にすわって食べなよ、私が何度言っても彼はまるで聞く耳をもたず、眼鏡の奥にみえる切れ長の瞳を手許の電子書籍端末に落としつづけている。本を読む趣味がない私には、なにかめずらしい虫でも探しているみたいに見えた。
「そんなに下を向いてばかりいるといつか目玉が落っこちるよ」
「そうかもしれないな。君がそう言うなら」
いったい私をなんだと思っているのだろう。仕方がないので、鍋の中でまだぐつぐつと煮えているホワイトシチューをすくい、器に盛りつけて窓際に持っていってやる。もちろん木のスプーンもつけて。銀のスプーンは冬の底冷えをひろうのが趣味だから。
読書の趣味をもたない私にこう言う資格なんてないのだろうが、電子書籍は好きじゃない。表紙とか背表紙というものがないから、なにを読んでいるのか伝わらなくて悲しい。彼がいまなにに興味を持っているのか、私に知る権利は与えられていない。
出来立てのシチューはまた冷めるまで放っておかれるだろう。こんななにを考えているのかまるでわからない男の、なにを好きになったのか、最近よくわからなくなっている。窓の結露が雫になって床を蝕んでいる、このまま放置すればやがて腐りだすだろう。部屋を掃除する方法でも学んでくれていたら可愛いのにな、けれど私の願いはたぶん届いていない。
私が見てもまるでわからないような題名をつけられた、難しい世界の決まり事ばかり考えていそうだから、私は彼のことが好きなのだと思う。
「じゃあ、ちょっと出かけてくるから、シチュー冷めないうちに食べてね」
「出かける前にひとつ言っておくけれど、俺は君の思っているような人間じゃないと思う」
「脈絡がないね。私の脳内でも読んでる?」
「まさか。脱出ゲームの作り方だよ」
なるほど、彼は脱出ゲームを作ろうと思っているらしい。
それは楽しみだ。
出かける前に鍵がちゃんと掛かっているか確かめる。両足はしっかり枷をロックして鎖でつないであるし、念のためロープでも拘束してある。手は電子書籍を読める程度には自由にしておいたから、頑張ればシチューも食べられるだろう。
「君は自分が異常者だということに自覚がある?」
「何言ってるの……意味わからない」
熱々のシチューを食べずに本を読んでいるひとには言われたくないもんね、と私は笑った。
彼がきちんと留守番をしてくれるか心配になってきた。玄関の鍵をもうひとつぐらい自前で増やしてもいいかもしれない。防犯対策はいくらやってもいい、私は独り暮らしということになっているのだから。
外に落ちていたものを拾ってなにが悪いのだろう。
部屋の片隅に観葉植物を置くようなものだ。
私はただ美しいものが好きなだけ。
部屋と呼ぶには歪な直方体を、彼の吐いた二酸化炭素で満たしたいだけ。
(部屋の片隅で)
12/7/2024, 1:03:27 PM