「わたしね」
向かいの席に座った友人は、ストローを軽く揺らしながらぽつり、と呟いた。
からころ、とアイスミルクティーの氷がぶつかり合って音を鳴らす。
以前から彼女が「ここのミルクティーが一番おいしいんだよ」と、なにかにつけてはおすすめしてやまない喫茶店。
久しぶりに誘ったのはわたしだった。
「恋愛感情には、ちゃんと行き着く先があると思ってたの」
うん、と相槌を打つ。
「得恋か、失恋か。」
「とくれん?」
聞き慣れない単語に思わず繰り返すと、彼女は少し得意気な顔をした。
「恋愛が成就することを言うんだって。失恋の反対。」
得意のとく、と空中に指でなぞり書く。
小さめだけれど形の整った、相変わらず綺麗な指先。
「でも、実際に恋愛してみたら、そうじゃなかった。」
恋愛感情が上手くわからない、初恋もまだだと思う、と恥ずかしそうに口にしていた彼女が「好きな人ができたかもしれない」と自信なさげに報告してきたのは去年の秋。
その時点で春頃から誰にも言えずに抱えている恋だと話していたから、今は彼女が初恋を自覚してから、ちょうど一年が過ぎた頃だ。
「恋愛を知らなかった時は、好きな人と両想いになれて、付き合えるなんて奇跡みたいなことで、その奇跡を起こせなかった人が失恋するんだと思ってたんだけどね」
高校生になってまで、少女漫画のような恋に憧れていたことを知っている。
そしてそれを、酷く難しいと笑っていたことも。
真面目で不器用で臆病で、少し夢見がちで。
そんな自分をわかっていて、静かに受け入れているところが、子供っぽいのに大人びていていて、矛盾していると思っていた。
そして、そんな彼女を好きだと思う。
「失恋することすらも、できなかったの。」
少しの間を空けて彼女とわたしの間に落とされたその言葉は、心臓を細く硬い紐で縛って、ぎゅうっと引っ張ったみたいに、わたしの深いところに刺さった。
「まるでそこでなにもかも終わっちゃったみたいに、“失恋”なんて簡単に言うけど、それは自分の気持ちに真っ直ぐ向き合って、逃げずにちゃんと頑張った、そんな勇気のある人だけの、大事なものだった。」
「うん」
相槌に必要以上の共感が滲んでしまったような気がした。
自分の話を聞いているようだった。
彼女には、彼女にだけは、こんな恋はしてほしくないのに。
「もちろん、恋は叶う方がいいに決まってるけど、だから失恋した人にこんなことは言えないけど、それでもすごく、とうといものだった。」
わたしにはできなかった、と彼女は俯く。
「怖がってびくびくしてるうちに、汚い自分ばかり見えるのが嫌になっちゃって、見ないふりして諦めたと思い込んで、それなのにふとした拍子に溢れてくるの。」
知ってる、全部知ってるよ。
そう、叫び出したかった。
やめてよ、そんなこと言わないで、せめてわたしが触れられないところで、幸せな恋を叶えてほしかったのに。
それをまた無難な相槌で抑え込む。
「失恋もできなくて、どこへも行けなくて、わたしのこれはどうなるんだろう。」
ぐずぐずに腐って、どうしようもなく心の底に巣食う醜い塊になるよ、とは言えなかった。
そんな恋をずっと引きずって忘れられないことを、付き合いの長さで諦めて、そのくせやっぱり初恋を応援することはできなくて。
それどころか、いい機会だ、君の恋の成就を見届けて自分の恋を今度こそ葬り去ろうなんて、都合よく利用しようと考えていた。
自覚した時は、罪悪感で死にたくなった。
目の前のわたしが君にこんな気持ちを抱いていながら、もうすっかり隠すのも上手くなるほどずっと離れられずにいたんだと知ったら、君はなんて言うだろう。
すべて明かしてしまおうか、と自棄になりかける心に、もう何度目になるかもわからなくて、またか、とため息をつきながら蓋をしようとして。
でも、彼女は「とうとい」と言った。
腐ってどろどろで見るに堪えないこれが、恋を知った彼女の言葉で最後に綺麗な何かに変わるのだとしたら。
自分からは動こうとせず、なにも頑張らずに失恋しようだなんて都合のいい考えは通用しなかったけれど。
初めての恋に疲れてしまった彼女につけ込むようなタイミングで、汚い告白かもしれないけれど。
全部今更じゃないか。
からころからころ、と涼しげな音が鳴る。
爽やかな初夏のみずみずしい緑が窓ガラスの奥に広がっている。
失恋を、彼女の言う恋の行き着く先を迎えるなら、こんな、わたしの恋には似つかわしくないくらい綺麗な日がいいと、ふと思ったことはまるで最初から考えていたかのようにしっくりときた。
「ねぇ、あのね」
-失恋-
6/4/2023, 9:59:26 AM