クロノネコスキー

Open App

いつも通る駐車場までの道程は
特に何もない退屈な日常だった。

義父の散らかした縁側も、少し窮屈なキッチンも
二階の空き部屋に付けられているエアコンも、
部屋の入り口の柱に据え付けられたフックも、
窓際に置かれたスツールも、
とくには気にもならない日常だった。

なんの変化もなく、
なんの機微もない、
よく言えば穏やかで、
悪く言えば退屈な日常は
これまでもこれからも
変わらなく続いてきたアタリマエのものだった。

しかしそれは九ヶ月ぶりに開けた
押し入れにより変化した。

いや、変化したのではなく、
思い出したのだ。

丸く茶色い大きなクッション。
それは恐らく、いや紛れもなく猫用のドームクッションだった。

それを最後に使ったのは、
クロさんだった。

クロさんは野良猫だった。

寒い冬に野外で出逢い、
なにも無い沿道を延々とついてくる黒猫だった。

春が近付くと庭先に放置してあった猫用ドームクッションに入り込み、
数日そこに居着いたあとは、いつの間にかウチの子になっていた。

キッチンの片隅に置かれたケージに囲われて数日を過し、
病院で検査を受けて深刻な病気に罹患している事がわかった。

それから2階の住人となり部屋の入口にはフックが取り付けられ
逃走防止用のバリケードが設置された。

夏には暑さが極限になり、
ついにクロさんの部屋にはエアコンが取り付けられた。

やがて寒くなりクロさん用に紺色ふかふかの毛布を買ってきた。
窓際に置いたビーズクッション、其の隣に組みげたキャットタワー。

クロさんは穏やかな子で外をずっと眺めては時折鳴いて、
静かになるとボクの背中やおしりのそばに静かに寝転んでジッとしていることが多かった。

冬になり年を越え、世界がいちばん寒くなり始めた頃、
クロさんは徐々にご飯が食べられなくなった。

窓際の大きなビーズクッション。
その上に猫用の小さな電気カーペットを置いて、
さらにその上に置かれた紺色の毛布のうえで、
クロさんはその日の夕方、静かに動かなくなっていた。

それが9ヶ月前の出来事。

僕はそのあとすぐにキャットタワーを解体し、
クロさんが吐瀉していた毛布もクッションも処分し、
クロさんがそこにいた痕跡は、
遺影にと選んだ数枚の写真と
クロさんを送る為に買った造花と花瓶だけとなっていた。

それは忘れようとしていたわけではなかった。
クロさんがここではなく次の生を得られるようにと、
居場所を無くす事でクロさんの未練を断ち切ろうと考えていた気がする。

そうやって自分では、
わりきっていたつもりだった。
整理はできているつもりだった。

それでもそれから随分泣いた。

その後もなんだか本当にこの年は、
ぼくにとっていろんな事が起こったけど、
いちばん思い出して辛かったのは
クロさんといた日々を思い出しての事だった。

そんな不安定な状態もそろそろ落ち着いてきたこの頃、

ふと見つけたそのドームクッションは、
ぼくの中に仕舞い込んであった哀愁をそそるのに
十分過ぎるアイテムだった。

しかしもう泣きはしなかった。
今日はクロさんの月命日で
遺灰に会いにいってきたばかりだった。
クロさんの死についてはもう泣きつくして久しかったから、
多分もうそうそう泣くことは無いと思う。

しかし、ぼくはあの日から一度も
クロさんの夢を見ていない。

見たい、逢いたいとどんなに願っても、
今日まで夢には出て来てくれなかった。

それについて、コレは最近聞いた話だった。

亡くした猫が夢に現れた時は、
次の猫を家族にしてもいい合図なんだと。

つまり僕にはまだ次の猫を飼う資格がないらしい。

それでいいと思う。

それがいいと思う。

クロさんのような子に、
そうそう会えることはないだろうから…。





11/4/2023, 12:46:25 PM