のねむ

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書いては消していたものを消化するだけ。
だから、何を言いたいのか分からないものが並んでる。






『世界』

子供とは愚かさで、大人とは醜さだ。
無知は恥だ。無知故の差別や純粋な軽蔑。子供とは、そういうものだと思う。仕方がないのだと言われれば「そうだね」を笑い声と共に吐き出すしかないのだ。
乾いた笑い声が喉の奥に引っ付いて出てこなくとも、笑うしかないのだ。
大人とは、それが何たるかを知りながらも、見て見ぬふりをする。もしくは、わざと相手を高く高く持ち上げて、キラキラと光り輝く舞台へと放り込む。
そしたら、客席に戻って腕を組み、足を組み、薄ら笑いを浮かべながら物語を楽しもうとするのだから、全くもって大人とは卑しく、浅ましく、醜い生き物だと思う。

だけど。一体何処からが大人なのだろう。気付けば勝手に大人とカテゴリー分けされて、勝手に期待して勝手に失望される。
身勝手な人間に身勝手に消費されて、でも貴方は大人でしょう? とそんな馬鹿げた言葉で終わらせて。

はは、本当に嫌な世界だ。
けれどだからこそ、とても美しい。醜い大人の中で、自分を保ち心を軸にしっかり生きている奴がいる。他人に異常に優しく、慈しむ。愛を詰めたような瞳でこちらを見て、それから、優しい陽だまりの様な笑顔で包み込む。
だからこそ、死にきれない。
世界全てが愚かで醜いのならば、あっさりと死ねただろうに。
本当に本当に、残念だ。






『生』


何が楽しいかって聞かれれば、何かが楽しいのだろうと思う。
きっと何かが楽しいから生きているのだと思う。けれど、それを確かな言葉にしろと言われれば、私は口を閉ざすだろう。
何かを楽しいとは思っているが、それが何かは分からないのだ。可笑しい事だとは思うかもしれないがそれが私の現実なの
だ。
こんな私を見て、「それを生きていると言えるのだろうか」と笑う君を思い出してしまった。とても、虚しい気持ちになって冷たい床を見つめる。
生きている、心臓が動いているのだから、きっと生きているのだろう。多分、きっと、そんな曖味な言葉ばかりを好むのは、私自身が曖昧な存在で沢山の矛盾を抱えているから、明確で正確な言葉を探し出せないのだ。
生きていると言うのは、結構難しいのだ。
心臓が動いていて、息をしていれば生きているのでは無いのかと思うのだが、社会的視点からでは、1人でお金を稼ぎ生きていける、その状態からが生きていると見なす人もいるそうで。
生も死も、見る人によればその基準が大きくズレる。




しっかりとした言葉で何かを表すのが嫌いだった。
決断を下すのが嫌いだった。
責任が持てないから、責任を持つための記憶力が私には存在しないから。
優順不断、とはまた少し違う。
自分を理解した故の、手段なのだ。
バカにしないで欲しい、見下さないでほしい。そんな気持ちはもう、存在しない。


けれど、私を嫌っている大好きな君の中から、馬鹿で嫌な私が消えてくれるのを、今でも願っている。





『愛とか好きとか何とやら』


愛情って一体何者なんだろう。
足が勝手に生えて、とてとてと可愛らしい足音を鳴らし沢山の人の所へ走り、身をすり減らして相手に愛をあげるのだろう
か。
そうじゃなければ、私は、私の愛が存在するのかすら分からないのだから。
愛は、この世で一番身勝手なものだと思う。
愛のために人を殺せたり、愛のためにお金を注ぎ込んだり、愛のために全てを捨てたりするのだから、愛というのは大層自由でいて美しく醜い。
押し付けというのは、行き過ぎると迷惑な行為にしかならないのだが、愛だとそこの境目が曖昧になる。当人同士も、周りの目も。
“愛があればいいと思う"そんな言葉で終わりを迎える結末すらも存在する。
粘土みたいに自由に曲げて捏ねて縮めて伸ばして、人型に合わせてくり抜いたパネルの中に形を変えた愛を詰め込む。
これが私の愛だ、と言わんばかりに遠慮もなしに詰め込んで、また詰め込んで、パネルが壊れるのも関係なしに、また詰め込
む。
世の中では一途と持て囃されて、悲劇の愛だなんて言われて。本当にバカバカしい。





バイト先の大好きな先輩に言い寄ろうとした社員の男がいた。「元カノの事があってから、人を好きになれなかった俺がやっと好きになれた人」だなんて言ってたから、嗚呼おめでたいね。って。
でも先輩は心の底から嫌がって、一時は精神的に不安定になってた。
その状態も、先輩がその状態になっても気付かず言い寄る男に嫌気がさしたんだ、と言えばいいんだろうか。

何となく、いつもより距離を近めにして話をした。大袈裟に笑って驚いて、少し幼めな喋り方で男に接する。動画で見た女性のモテる男性への接し方、みたいな馬鹿みたいなものを参考にして。
やっと好きになれた先輩がいるのに、私みたいなものになびく訳ないよね? って、少し期待したのに、呆気なく男の矢印はこっちに向いた。
はは、本当に、好きってなんだろう。
そんなに呆気なく、変わるのならば、ならば人の好きとは何て軽いんだろう。


先輩の精神が安定するなら、まあ良いかと思ってその状態を放っておいたら、何だか最近は別の社員さんにまで何となく匂わせをされるようになった。
良い雰囲気だ、とでも言われたんだろうか。
自分で蒔いた種なのだから仕方がないか。もうどうなっても構わない。自分がどうなろうと、興味が無い。




私が、誰かを好きになることはない。

好きになられれば、嫌いになられるという選択肢が生まれてしまう。
それなら好きなんて要らないのだ。






『』




あなたに届けたい言葉がある。
それはきっと私が伝えても届かない様な言葉だけれど。

毎日同じことの繰り返しで、何のために生きてるか分からない現状に飽き飽きしているかもしれない。
好きな物も好きな人も見つけられず、ただ一時胸を熱くさせるような事に囚われて、一瞬の命綱を何本も作って何とか生きてるのかもしれない。

だけど、それでもこれからも生きていて欲しい。
何の確証もない、曖昧な私の言葉だけど、貴方が生きていてくれたら、私はとても嬉しいなと思う。
死は救済だと思って生きている。生きているから、死にたいと思う。なら、死んでしまえば終わる苦しみだということも、理解している。

道端に咲いた花が綺麗に見える時がある。
いつもと同じ青空がいつもより、鮮明に綺麗に見える時がある。
冷たい風が耳を冷やす感覚に、何となく好きだなって思う時がある。
そんな、小さな優しい美しさに、生かされている。

きっと、幸せになれる。なんて言葉は好きじゃない。
幸せになれないかもしれない、これからの人生不幸まみれで影の中を生きるしかないかもしれない。
それでも、その中で時折見える何かの為に、私は仕方がないから生きていく。

あなたも、そうであると嬉しい。






───────
訳分からないものの詰め合わせ。
貴方が生きて、いつか私となにかの縁で会えたなら、好きな花を教えて欲しい。
そうしたら、私が死ぬその瞬間まで貴方を忘れてあげないから。
因みに、私は蓮の花が好きです。
友人が、私みたいと言ってくれたから。




そういえば、縁の切れたあいつと、仲直りしました。
ある程度知った仲の信頼ってのは厄介ですね。どうでもいいと思っていた感情が、「あいつの性格なら、どうせ仲直りする」っていう信頼があった故、だなんて知りたくはなかった。


本当に、神様どうかお願いします。
来世は人間なんかに産んでくれるなよ


1/30/2024, 3:12:46 PM