川柳えむ

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 チョコレートが欲しい!

 少年は切実にそう願っていた。
 世は大バレタイン時代。そう今日はバレンタイン。
 最近付き合い始めた彼女からのチョコレートが欲しい。絶対に欲しい。
 貰えなかったらどうしよう。いやそんなわけない。彼女なら絶対にくれる。間違いない。くれないはずがない。
 そうは思うものの、ドキドキそわそわする。

 そんな感じで浮つきながら登校した。
 教室に入り、席に着く。彼女はまだ来ていない。

 朝のチャイムが鳴り、HRが始まる。
 彼女はまだ来ていない……。

 え? いない? 来ない?
 まさか休み? 何かあった?

 慌てて彼女にLINEをしようとして思わず手が止まる。

 そんなわけない。そんなことあるわけないけど……もし、もし彼女が自分のことを嫌いになったんだとしたら? 会いたくなくて、学校に来てないんだとしたら?
 ……いや、それよりも。普通に考えたら体調不良の可能性の方が高いだろーが!

 そう思い直し、「なぜいないのか」「休みなのか」、急いで担任に確認した。


 彼女は頭を抱えていた。

 どうして……昨日までは元気だったのに。
 学校から帰ってきて、彼にあげる為のチョコを初めて手作りして、想いを詰め込んでラッピングをして……あとは今日渡すだけだったのに。
 なんで、急に熱を出したの。風邪を引いちゃったの。
 たしかに心当たりはあって、少し前に弟が風邪を引いて寝込んでたし(すぐに治ってたけど)、あと寒暖差に弱いから最近のこの気温はなかなか厳しかった。
 一応インフルエンザやコロナではなかったけれど(まだ陽性が出てないだけかもしれないけど)、それにしても、よりにもよってどうして今日。

「どうしようかな、あのチョコ……」

 机の上に置かれたままのチョコをベッドの中から眺める。
 もしかしたら、風邪の菌が入ってしまっているんじゃないかと思うと、風邪が治った後も気軽に渡すことなんてできない。

 せっかく作ったのにな……。
 でもしょうがない。彼に変なものを食べさせることになるくらいなら、ちゃんと作り直そう。

 そう決意して眠りに就いた。


 どれくらい眠っていたのだろうか。
 ゆっくりと目を開ける。

「おはよう」

 ――夢?
 彼の優しい顔がそこにあった。

「夢じゃないぞ」

 彼が彼女のほっぺたをそっと抓る。

「……あんまり痛くない……」

「そりゃ軽くしか抓ってないからなぁ」

「って、そうじゃないよ! なんでいるの!?」

 急に頭が覚醒する。
 なぜここに彼がいるのか。

「学校サボって来た」

「サボっちゃダメだよ!」

「勉強より大切なものがあるから仕方ない」

『大切なもの』――そう言われると嬉しくなってしまう。学校をサボってしまうのは良くないけど。
 自分の為にサボってくれた。自分がサボらせてしまった。
 そんな嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちが混ぜこぜになる。

「んで、家に来たらおばちゃんが丁度仕事行くところだったから、代わりに俺が看病するって伝えて家に入れてもらったんだ」

「いや、学校行くように言ってよお母さーん!」

「俺が来たの、迷惑だったか……?」

 彼が悲しそうな顔して彼女を見つめてくる。そんな目で見ないでほしい。

「迷惑じゃない……」

「良かった。はいこれ」

「え?」

 彼に温かいマグカップを差し出された。
 受け取ると、中には――

「……ホットチョコレート?」

「……バレンタインだし……海外だとバレンタインって男から渡すって聞いたことあるぞ。それと、チョコは風邪に良いってのもなんか聞いたことあるし」

 海外ではチョコを渡すイベントじゃないけどね。
 それと、チョコが本当に風邪に良いかどうかは、一概には言えないみたいだけど。
 そう思っても、そんな野暮なことは言わない。

「嬉しい……ありがとう」

 だって、素直に嬉しかった。
 心配してすぐに自分のところに駆けつけてくれたことも。こうやって暖かいものを差し出してくれることも。自分の為を思って何かをしてくれるそのことが。
 マグカップを両手で包む。……温かい。心も暖かくなったバレンタイン。

「それで、その…………。……俺に、何か、その……」

 ――チョコレート、用意してない?

 そう聞こうとして彼は気付いた。
 彼女はこんな体調なんだ。そんな余裕なんてなかったかもしれない。
 いや、正直、机の上にあるラッピングされた箱がめちゃくちゃ気になるけど。
 でも、それは全然自分とは関係ないもので、やっぱり自分の分なんてないかもしれない。
 なかったとしても、きっとわざとじゃないだろうけど。
 などと、そんなたくさんのことをぐるぐると考え始めてしまった。

「……あ、チョコ……」

 彼女はベッドから起き上がろうとして、彼に止められた。

「寝てろ」

「ごめん……。その、机の上の箱……」

 やっぱり自分のだった!
 彼が内心で小躍りする。

「……でも、食べない方がいいかも」

 彼女の言葉に、彼は固まった。

「なんで!?」

 申し訳なさそうな表情を浮かべて、彼を見る。

「だって風邪引いちゃったし、風邪が感染っちゃうかも――」

 彼女の言葉を遮って、そっと唇に柔らかいものが触れた。

「――唇にチョコついてた。……大丈夫。これで風邪が感染っても、まぁ今更ってことで」

 それが何だったのか理解した瞬間、二人とも一気に熱が上がってしまった。
 暖かいを通り越して、熱いバレンタインになったのだった。


『バレンタイン』

2/14/2024, 2:11:43 PM