誰もがみんな、忘れてしまったことを思い出すわけじゃない。それを強く実感した一日だった。
彼の後輩は思い出しかけたけど、ふとした瞬間にこれまで感じていた違和感を何もかも全て忘れ、別の悩みへと書き換えられた。
間近で見ていたはずの彼女の後輩もさして不思議がらずにその状況を受け入れていた。
……僕はポーカーフェイスを貫けただろうか。
さっきまで彼について話していたのに、いきなり『一人暮らしに必要なものや初期投資はどれくらいかかるだろうか? 家賃の相場は? 黒渕さんが暮らしている部屋の広さはどれくらいだ?』ときたものだからとても驚いてしまった。
……きっと、彼女は彼のことはもう思い出さないだろう。
なんとなく思った悲しい憶測だけど、それが間違っているとは到底思えなかった。
どうして僕たちが思い出せたのか、それを知るのは神のみぞ知るというやつだろう。
何か条件があるのか、それとも付き合いの長さか、そんなもの僕たちには知りようがない。
「……君なら考え込んで、検証して、答えを導き出せるんだろうね――」
彼の名を呟いたその瞬間、季節外れの雷鳴が轟く。
周りに落ちた気配はない。ただ耳を塞ぎたくなるようなつんざく音だけが響いていた。
辺りにいた人々は不意の音にびっくりしてキョロキョロ見渡したり近くにいた人と今のはなんだったのかと話したりしている。
だけどそれも一過性のもので、すぐに何事もなかったかのようにそれぞれの生活へと戻る。
……僕たちは完全に元の生活には戻れない。思い出してしまったから。忘れるなんてできないから。
だけど、それでいいんだ。
僕たちは彼の思い出を胸に抱いて生きていく。
誰にも話せない楽しかったあの日々を時々静かに振り返る。
それくらいなら神さまも許してくれるはずだから。
2/10/2026, 3:36:45 PM