あかまきがみあおまきまき

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     未来


  夜更けの高層ビルの屋上。その突端に立つ男
  がひとり。
  煌びやかな夜景も、涼しげな風も、彼の心に
  響くことはない。
  彼は死ぬことを選択したのだ。
  さまざまに思い詰めた結果、これしかないと
  決断して、遂にこの場所にたどり着いた。
  
  足元を見ると……

  お、意外と高いな。
  大丈夫かな。あの辺の、ひさし辺りに引っ掛
  かりはしないよな?
  ちゃんと下まで落っこちればまず間違いなく
  死ねるだろうけど。
  あー、下は車けっこういるなあ。
  落ちたら、車にぶつかるな。たぶん。いや絶
  対。
  他人巻き込んじゃうのはやだな…。
  あっちにするか。

  男はコンクリートの縁をいそいそと歩き出す
  。一瞬強い風が彼の背広をはためかせた。
  男は思わずその場にしゃがみ込む。

  うおっ!あぶねー!
  ヤバいヤバい、中途半端には死にたくないし
  な。何しろ一世一代の大仕事だしな。
  さてと…、こっちならどうだ?
  んー、下は真っ暗で見えないぞ。
  ほんとにここでいいのかな…。
  あ!遺書と靴、あっちに置いてきちゃった。
  取りに行くのめんどくせえな…。

  「おい!」

  逡巡している男に向かって何者かが声を上げ
  た。男は一瞬たじろぎ、肩を竦めながらその
  方角を振り返る。
  暗がりのなかに誰かが立っている。
  ヤバっ、警備員か?

  「お前さ、いい加減にしろよ」
  黒い影は悪態をつくように言って、ずかずか
  と男の方へ近づいてきた。そしてそれは目の
  前で立ち止まると、続けざまにこう言った。

  「いつまで待たせんだよ。
   早くちゃんと死んでくれる?」

  「は?」
  男はきょとんとして暗闇にぼんやり映るそい
  つを見る。
  ダボダボの黒いパーカー。フードを目深に被
  って表情はわからない。

  「あの…、どちら様で」
  「オレか?オレは、オマエさ」

  黒いパーカーの人物はどこか得意気に言うと
  、ゆっくりとフードを捲り上げた。

  「ほら、おんなじ顔だろ?
   …いやちょっと待て、暗くて見えないか」

  そいつが胸元で右手を開くと、不思議なこと
  にぼんやりと明かりが灯った。
  
  「あ!」
  男は目を丸くして驚愕した。
  薄明かりの中に浮かんだその顔。紛れもなく
  …オレじゃないか!

  「びっくりしたろ」
  「いや、その、何て言うか…。ずいぶんとそ
   っくりで…」
  「そっくりなんじゃねえよ。オレはオマエで
   オマエはオレなんだよ」

  にやけ顔のそいつは見栄を切るように顎を突
  き出した。

  「ちょっとなに言ってるのか…」
  「わかんねえよな。無理もない。
   オレは未来から来たオマエなんだよ」
  「未来から?」
  「そ」
  「その…タイムマシンとかなんかで?」
  「正解」

  男はますます事情が飲み込めない様子で『
  オレ』を名乗る人物をまじまじと見る。
  それにしてもコイツのにやけ顔、なんかムカ
  つく…。

  「そのオレ様がどういったご用件で」
  「用件はただひとつだ。オマエ…、いや、オ
   レがちゃんと死ぬのを見届けに来た」
  「見届けに?」
  「そうだ。オマエは死ぬんだ。死んでもらわ
   なきゃ困る」

  その言葉に、男はいよいよこんがらがってき
  てなんだか腹が立ってきた。

  「こういうのって普通止めません?死ぬなん
   てやめろ!オレはオマエなんだから!とか
   言って」
  「あー、普通はそう思うわな」
  「そもそもオレが死んだら、アナタどうなる
   んですか。存在しなくなっちゃうでしょ」
  「なるほど、そこちゃんと説明しなきゃか」

  パーカーを着た『オレ』はその場で胡座をか
  いて座り込んだ。そして「よく聞けよ」と前
  置きしてから事の顛末を喋り出す。

  「オレ、つまりオマエはここで一旦死ぬんだ
   わ。そっから飛び下りて。
   そんでそこでオレ…、まあこれもオマエだ
   けど、が現れて、未来科学の力でもってオ
   マエを生き返らせるってわけ」
  「なんでわざわざ死んで生き返らせるの?だ
   ってそれなら一旦死ぬ必要ないよね?」
  「そういうシナリオなんだよ」
  「シナリオ?」
  「そ。オレの記憶じゃそうなってるんだ。
   150年前にオレは一回死んでるの」
  「150年!?」
  「タイムマシンで来たからね。未来から」
  「何歳なの?」
  「んーと、180歳になるかな、今年で」
  「そうには見えないけど…」
  「未来科学の力だよ。だってオレ、アンドロ
   イドだもん。脳味噌以外は」
  「あ、私iPhoneで」
  「聞いてねえよ。オマエのスマホのキャリア
   なんてよ。
   そうじゃなくて、オレ自身が人造人間なの
   。死んだあと身体ごとそっくり入れ換えた
   の」
  「機種変ですか?」
  「違えーよ!」
  「脳味噌がSIMカードってことでよろしいで
   すか」
  「しつけーよ!オマエ勤め先携帯会社だろ」
  「よくわかりましたね」
  「わかるよ!いやそれよりとにかくオマエが
   死ななきゃ始まらないんだよ!」
  「うーん、どうしよっかな」
  「オマエこの野郎!」

  そのやり取りをモニターで見ていた男は、悔
  しさを滲ませて頭を抱えた。
  「また失敗か……!」
  傍らで、如何にも男受けしそうな身体つきの
  アンドロイドが、艶かしい声で囁く。
  「博士。また上手くいきませんでしたね」

  西暦2174年の未来世界。
  タイムマシンを作り出した男は、なんとして
  も150年前の自分を死なせる必要があった。
  2024年のこの日、確かに自分は死んだのだ。
  そして『オレ』を名乗る自分にそっくりな人
  物によって生まれ変わった。
  いっそ殺してしまおうか。そうとも考えた。
  だがそれはリスクが大き過ぎる。
  オレは間違いなくあの場所から飛び降りたの
  だから。

  「今回は『オレ』の転送が早かったようです
   ね。もう少し遅らせますか?」
  アンドロイドの助手が男に告げる。
  「ああ、頼む」
  「それでは巻き戻します。
   座標確認、キャプチャー5088AD65…… 」

  こんなことをもう何年もやっている。
  オレがこんなにしぶといなんて…。
  頼むから死なせてくれ。オレを!


  #005

6/17/2024, 4:10:25 PM