らむね

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私は私の名前に負け続けている。
物心ついてからずっと名前と戦ってきたけれど、100戦98敗といった具合でボロ負けだ。そのたった2回の内訳は、親と幼馴染み。自分の力で勝ったとは到底言えない。

私の名前は変わっている。いわゆるキラキラネームというやつ。口頭で自己紹介するとまず漢字を聞かれるし、書類に書けば読み方を聞かれるし、会った事もない隣の隣のクラスの人に、ああ名簿で名前見たことあると言われたこともある。そうしていつも私を置いて、名前が独り歩きしていく。私はそれを、どこか他人事のように眺めているものだ。

国語の教科書のどこかのページにこんなことが書いてあった気がする。名前は物を識別するラベルのようなものだ。椅子と名付けるから、四角い板に4本足がついているものを椅子と机に分けられるし、名前がなければその2つを分けることもできない、と。
ラベルはときにそのものより先に情報として入ってきて、偏見や先入観にもなる。例えば、女とか子供とか外国人とか老人とか、個別のものを失わせてもっと大きな集団の一部に吸収してしまうのだ。人の名前だって、個人を識別するためにつけるとはいえ、大抵は既にある名前の中から名付けるし、名前によって国籍や性別を表したりもできる。

人の個性って本来そうやってどれもありきたりなもので、掛け算で唯一無二になるのだと思う。早起きが苦手な人はゴマンといるし、あのアイドルが好きな人はゴマンといるし、この街に住んでいる人もゴマンといるけれど。早起きが苦手であのアイドルが好きでこの街に住んでいて…とかけ合わせたら私だけだ。
なのに私の名前は、名前だけで私を独特な存在にして、私の内に宿る普遍性もそれらが合わさってできる私らしさも失わせる。私の名前の個性が注目されるとき、かえって私はただその名前のラベルが付けられただけの空っぽな器になってしまうのだ。

名前に負けない個性を磨いてやろうといろいろな趣味に挑戦したりもしてみたけれど、あれこれするうちにどれも中途半端になって、結局何もない私になってしまった。
そうして何もない私にたった一つ残った個性は、私の名前だけだった。私はやっぱり、私相手ですら名前に負けてしまうのだった。

「私の名前」

7/20/2024, 2:46:19 PM