すき、きらい、すき、きらい、すき……
「みいちゃん、花うらないしよっ」
「うん!」
なかよしのゆうちゃんと川のどてをころがるように走りおりて、丸いきいろのツブツブのまわりに白くほそい花びらがたくさんついた花を1本づつ手にとる。
「せーの、すき、きらい、すき…」
あたしたちは声をあわせて、ふたり同じタイミングで花びらを1まいづつつまんで、草の上に花びらをおとしていく。
さいごの1まいが、ゆうちゃんもあたしも「すき」になれば「せいこう」のうらない。
あたしたちのすきな人は、みいちゃんは「あたし」で、あたしは「ゆうちゃん」。
どっちかのさいごの1まいが「きらい」になるのはゆるせなくて、5時の音楽がどこからかきこえるまで、あたしたちはむちゅうで花びらをむしっていた。
中学校に入学してすぐ、私は剣道部に一緒に入部しようとゆうちゃんを誘った。先輩たちの袴と防具姿がカッコ良くて、背の高いゆうちゃんもきっと似合う。ゆうちゃんも私と一緒の部活が良いと言ってくれて、2人で剣道部へ。練習は厳しかったけれど、背が高く運動神経がそれなりに良かった私たちは地区大会の新人戦で表彰されるくらいには活躍できた。
小学生低学年のときに川の土手を転げ落ちるような勢いで駆け降りていた私たちは、今、土手の上のコンクリートで舗装された狭い道を自転車で走り抜ける。
小学生のときに、昼放課に2人で学校の図書館で花の図鑑を広げてあの花占いをした花のことを一緒に調べたことがある。ハルジオンという名前が付いていた。花言葉は「追憶の愛」。ルビがふってあった。
「ついおくってなあに?」
「さあ?でも、愛だって」
「愛とか、なんか恥ずかしいね」
「ゆうちゃん、好きな人いる?」
「男子で、ってことだよね?いないよ。みいちゃんは?」
「あたしもいない。男子って、サッカーとか、ゲームのこと話しててよくわかんない」
「あたしも。みいちゃんがいちばん話が合う」
「ゆうちゃん、ずっと友だちでいてね」
「うん、もちろん!みいちゃんもだよ」
やくそくね、と小指を絡ませて腕を軽く振りながら指切りげんまんを一緒に歌った。
今はもう、「追憶」も「愛」も説明できる。
自転車を軽快に走らせる。
川のせせらぎ、水面の煌めき、草花の青と土の香り、ハルジオンの群生の鮮やかな白と黄色が風に揺れる。
風がスカートをパタパタと音を立てて揺らし、前髪を巻き上げる。
好き、嫌い、好き、嫌い、好き……
私はゆうちゃんに、男子剣道部主将、青柳先輩に片想いしていることをそっと伝えた。
青柳先輩がお面を外すときの指の長さ、外した後、手の甲で汗を拭う姿、部員と笑い合う姿。全部カッコよくて、眩しい。
ゆうちゃんは最初ビックリしたみたいだけど、うん、と笑顔になった。「青柳先輩、カッコイイもんね」と私の手を握った。ゆうちゃんの手が冷たくて、ビックリした。
今は夏。部活終わりで2人でいつまでも自転車置き場の屋根の下で喋っていて、湿度が高く蒸し蒸ししているのに。ゆうちゃんの顔をそっと覗く。それに気づいたゆうちゃんは口角を上げた。
「暑いね。帰ろっか」
「…うん」
ゆうちゃんに青柳先輩を好きなことを打ち明けて良かったのかな。
私は川沿いの自転車を走らせながら考える。
私は試合前、緊張しているときに指先が冷たくなる。私はゆうちゃんを緊張させてしまったの?
私は青柳先輩のことが好きだけど、ゆうちゃんのことは子どもの頃からずっと大好きなのに。あの、指切りげんまんした、「ずっと友だち」の約束はずっと続いてる。ゆうちゃんも、そうだよね…?
耳をすませば、ゆうちゃんが私の後ろを自転車でずっと追ってくれているのがわかる。私はそれに安心して自転車を走らす。
好き、嫌い、好き、嫌い、好き……
2人で「好き」を揃えた花占い。
私が今占うなら、「青柳先輩」と「ゆうちゃん」。ゆうちゃんは、誰を占うの…?
私とゆうちゃんは別々の高校へ進学した。
私は青柳先輩の後を追って進学校へ、ゆうちゃんは大学の附属の女子高へ進学した。
私は背の高い剣道部員として一部の女子に人気で、交際を申し込まれたりもした。
そうして私は初めて気がついた。
部室の更衣室で2人っきりで頬を染めて一生懸命に告白してくれた後輩を見て、こんな恋もあるんだってことを。
そんな出来事は1度きりではなくて、私への告白に眉を顰める人や心配してくれる人もいた。竹刀を振りながら、交際を断った後輩の視線が私を追いかけているのを感じる。
そうだよね。すぐに別の人を好きになれるほど、恋は簡単じゃないよね。私は青柳先輩を視線で追って、幸せな気持ちになる。誰かを好きになることは普通のことで、同性を好きになることも普通だと感じられる人と、異常だと感じる人がいる。それだけのこと。
……その日、青柳先輩は私を好きだと告白してくれた。後にも先にもこんなに嬉しくて幸せなことはないと思えて、私も「中学の頃からずっと好きでした」と告げる。青柳先輩はすごく嬉しいと、優しく抱きしめてくれた。
帰宅してからも、嬉しいとか、幸せだと喜び合うメッセージを送りあう。日付けが変わる頃、もう寝なくちゃね、とお休みスタンプを送りあって幸せな気持ちで目を閉じた。
別々の高校で過ごしてゆうちゃんが恋しくなった頃、ゆうちゃんが連絡をくれた。SNSでやりとりしたり、休日には繁華街へ遊びに行くこともあった。
ゆうちゃんは女子高生らしくオシャレになって、すごく可愛くカッコよくなった。女子高の新しい友だちがヘアアレンジやメイクを教えてくれるから、って笑った。メイクのせいか同性なのに大人っぽくて少しドキドキしてしまう。
青柳先輩とデートするときに、こんなふうにヘアアレンジやメイクができたら良いなあ。アイシャドウのラメのキラキラに目を奪われていると、「みいちゃん、もう、見過ぎだよー」とゆうちゃんが片手で顔を覆った。
照れてる。中学生のときの、私の知ってるみいちゃんだ。
「だって、ゆうちゃん綺麗だもん」
「えー?別に普通だよ」
「綺麗だって!今度メイク教えてね」
「良いよ!もちろん!」
私はゆうちゃんの腕に手を絡ませた。ゆうちゃんの身体が一瞬、強張る。
「あ、ごめん」
「ううん、大丈夫。でも、私、汗臭いかもだし」
「そんなことないよ。むしろ良い匂いだった」
「なにそれ」
ゆうちゃんはケラケラと笑った。
ゆうちゃんと私。
ちゃんと「友だち」のはずなのに、あの図書館で約束をしたときに思い描いていた「友だち」とはカタチが異なる気がして胸騒ぎがする。私たちは「友だち」のはずなのに。
帰り道、今日はゆうちゃんの後ろを走りたいと、私はゆうちゃんが漕ぐ自転車の背中を自転車で追っている。
中学時代、いつもゆうちゃんが私の背中を追いかけてくれていた。
私がゆうちゃんの背中を追いかければ、なにかこの胸騒ぎの理由がわかるのかもしれない。
ゆうちゃんは自転車を走らせる。
川のせせらぎ、水面の煌めき、草花の青と土の香り、ハルジオンの群生の鮮やかな白と黄色が風に揺れる。
ゆうちゃんは自転車を端に寄せて両足を地面に付けた。私は不思議に思いながらゆうちゃんの隣に並ぶ。
「ハルジオン、見よっか」
「…うん、良いよ」
ゆうちゃんの行動が子どもの頃をただ懐かしむだけじゃなくて、他にも理由があるような気がする。
私たちは川縁の土手に降りて、ハルジオンの群生に立つ。
お互いに茎を1本折り切って、白い小さな細い花びらを1枚づつ千切っていく。
好き、嫌い、好き、嫌い、好き……
ハルジオンは「花びらがいっぱいで、どっちになるかわからなくてたのしいね」ってふたり言い合った懐かしい声が聞こえた気がした。
好き、嫌い、好き、嫌い、好き……
花びらを半分残して結果がわからないハルジオンを、ゆうちゃんが青空へぽーんと放り投げた。
片側半分だけ花びらがついたハルジオンが放物線を描いて川のせせらぎに着水し、水の流れに乗って遠くへ運ばれていく。
ゆうちゃんのことをわかりたいのにわからなくてもどかしい。一緒に、好き、嫌い、好き、って声を合わせて摘んでいたのに。
「どうして投げちゃったの?」
「うん。私がみいちゃんのことを好きなら、やっぱりそれで良いなって確認できたから」
私はゆうちゃんの言っていることの半分も理解できていないかもしれない。
戸惑いながらゆうちゃんを見つめると、ゆうちゃんが夕陽を背中に受けてそっと微笑んだ。
大人びた儚げな笑みは、白く細い繊細なハルジオンの花びらのよう。
元気な黄色の花心みたいだと思っていたゆうちゃんの本当の心は、繊細な花びらの方かもしれない。
私は…ゆうちゃんが黄色の花心でも、繊細なハルジオンでも、どっちのゆうちゃんのことも好き。
私も花びらを半分残して結果がわからないハルジオンを、青空へぽーんと放り投げた。
片側半分だけ花びらがついたハルジオンが放物線を描いて川のせせらぎに着水し、水の流れに乗って遠くへ運ばれていく。
みいちゃんが私の顔を見つめる。私は笑った。
「私もゆうちゃんが好きだから、それだけで良いと思った!」
ゆうちゃんは急に体を反転させた。川のハルジオンに目を凝らしているみたいで、私も川に視線を移した。
まるで私のハルジオンがゆうちゃんのハルジオンを追いかけているように、二つのハルジオンの茎や葉の緑、川砂利に映える白い花びらとこんもり丸い黄色の花芯がキラキラ煌めく水面を滑るように運ばれていく。
私たちはそれを見送って、土手を登って自転車のスタンドを跳ね上げて跨った。
ハルジオンの白と黄色の花が風に優しく揺らぐ群生を見ていると、風が前髪を巻き上げた。
長くなった前髪をお気に入りの白い花のモチーフがついたぱっちんどめで留めて、ハルジオンの花占いをしていたあの時間は、ふたりだけのかけがえのない時間だったね。
私、ゆうちゃんの笑顔が好き。
ゆうちゃんの笑顔を守るために、私は何ができるんだろう?
優しく揺らぐハルジオンみたいに、そっと、遠くから見守っていたら、ゆうちゃんは今よりももう少しだけゆうちゃんの本心を私に打ち明けてくれる?
「みいちゃん、この先にハルジオンの群生地があること、知ってる?」
「え、知らない。見たい!」
「うん!」
背中を追って自転車をぐんぐん漕いで、子どもの頃は遠くて行くことができなかった土手のハルジオンの群生地に到着する。
そこはもっと多くの白と黄色の小さな花々が揺れていて、白と黄色の波を作る。
ゆうちゃんがいつか、私に秘密にしていることを打ち明けてくれるその日まで。
そのときの私が笑顔でゆうちゃんが好きだと受け入れられるように。
私は控えめに、優しく、遠くから、ずっと見守っている
私たちの周りを風が爽やかに吹き抜ける。
私たちは夕涼みしながら、いつまでも土手のハルジオンを眺め続ける。
ハルジオンの白と黄色が、川面にキラキラ映る。
「ゆうちゃん」
「ん?」
「自撮りしよ?」
スマホを取り出して私たちはスマホの画面を覗き込んだ。
「みいちゃん、嬉しそう」
「だって嬉しいもん」
「ゆうちゃんだって」
「そっか」
穏やかに瞳を細めて軽くて微笑むゆうちゃんと、明るい笑顔の私。
たくさんのハルジオンが揺れる土手をバッグに写真を撮ってゆうちゃんに送ると、写真を確認したゆうちゃんは「ありがとう」とスマホを胸にそっと抱きしめる。
ハルジオンの群生は夕陽の中で優しく揺らいでいた。
君の背中を追って
6/22/2025, 4:29:28 AM