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枯れた木の枝に残った枯葉が風になびいていた。
たった一枚。どんなに強い風が吹こうとも飛ばされることはない。枝にしがみつき、離れることを拒んでいるようだった。
その木の下で、一人の少女が佇んでいた。見覚えのある制服は自分の母校のものだ。こちらに背を向けているため、少女の顔は見えない。けれどもその後ろ姿を、自分はよく知っているような気がした。

「何を見ているの?」

問いかける言葉に、細い指が枯葉を指し示す。
風に揺らされながらも飛ばない枯葉。学生時代に流行ったお呪いを思い出し、理解した。
彼女は枯葉が落ちるのを待っているのだろう。

――一本の木を決めて、その木の最後の葉っぱが地面に落ちる前に取ることができたなら、願い事が叶う。

友人たちは恋の願い事を託していた。自分も木に願い事を託して、葉が落ちる瞬間を待ち望んでいた。
友人たちの顔が思い浮かぶ。葉が落ちる瞬間に立ち会えず、あるいは風に葉が遠くへと飛ばされ願いが叶わなかった悲しい顔。運よく葉を手に取ることができ、それをお守りに好きな人へ告白に向かう真剣な顔。そして恋が叶い幸せそうに微笑む顔。
少女はどんな願いを叶えるために葉が落ちるのを待っているのだろうか。
恋の願いか、学業の願いか。それとも全く別の願いなのか。
少女から目を逸らし、無言で両手を見つめる。
あの日、手に入れたはずの枯葉は、どこに行ったのだろう。捨てたのか、押入れの奥底にでもしまい込んだのか。
もう、覚えてはいない。

「――っ」

不意に、一際強く風が吹き抜けた。枝にしがみつく枯葉はとうとう耐え切れずに、風に乗って空へと放り出されてしまった。
このままでは枯葉は遠くへと飛ばされていってしまうことだろう。願いが叶わないのだろう少女の背を見ながら、そっと息を吐いた。
だが予想とは違い、風はすぐに止まる。高く舞い上がった枯葉はゆらゆらと揺れ動きながら少女の手元へと落ちていく。
かさり。微かな音を立てて、少女の願いを叶えるとでもいうかのように、枯葉が手のひらへと落ちた。

「――叶った」

声がした。枯葉を手に少女がゆっくりとこちらを振り向く。

「お姉ちゃんはかえってきた」

彼女の願いは、いつか自分が願ったもの。
振り返りこちらを見つめる無感情なその顔は、その姿は。

自分のものだった。



「――っ!」

聲にならない悲鳴を上げ、飛び起きた。
心臓が痛いほど激しく動いている。汗を拭いながら、深く息を吐いた。

嫌な夢を見た。
学生時代に流行ったお呪い。願ったこと、その結果を思い出してしまった。

「お姉ちゃん」

ある日突然いなくなってしまった姉。大人たちがどれだけ探しても、彼女は見つからなかった。
唯一見つかったのは、姉が来ていた上着だけ。近くの淵に浮かんでいたらしい。
そこは大人も滅多に立ち入らない場所だった。恐ろしい化け物がいると言われ、姉は連れて行かれてしまったのだと、それきり姉を探すことはなくなってしまった。
あの時子供だった自分はそれを認められず、お呪いをした。けれど枯葉は風に乗って遠くに飛ばされ、その時は叶わなかったのだ。
もう一度お呪いをしたのは、数年前のこと。偶然目についた木に一枚だけ枯葉が残っているのを見て、願をかけた。
姉が見つかりますように。帰ってきてくれますようにと。
枯葉は目の前に落ちてきた。それを手に家に帰り、数日後、実家から連絡が来た。
願いは叶い、姉は見つかった。いなくなった姿のまま、家に帰ってきた。

「――起きないと」

頭を振り、意識を切り替える。
朝の準備をしなければ。朝食を作り、夫と娘を起こさなければいけない。
のろのろとベッドから抜け出し、部屋を出る。二人を送り出した後の予定を思い浮かべながら、眉を寄せ息を吐いた。
夢を見たからか気が重い。実家の両親の小さな背が浮かんで、目を伏せる。

今日は姉の、十三回忌の法要だった。





重苦しい気持ちを吐き出すように息を吐く。
娘の迎えを理由に法要が終わるとほぼ同時に家を出てきてしまったことに少しだけ罪悪感が芽生えるものの、どうしても長居はできなかった。
時が止まったままの姉の写真を見ていることが苦しい。姉を置いて年を取っていく自分を思い知り、うまく息が吸えなくなってくる。
きっと家族の中で、自分だけが正しく姉のことを受け入れられていない。日常のどこかに姉を探すことを止められなかった。

「お母さん」

不意に、今まで黙って車に乗っていた娘が声を上げた。

「公園に行きたい。だめ?」

普段は自分の意見を言わない娘の願い事に、内心で驚く。
時計を見れば、まだ五時にもなっていない。夕食の準備にはまだ早い時間だった。

「少しだけね。近くの公園でいいの?」
「うん。そこでいい」

頷く娘に微笑んで、行き先を変更する。
向かう先の公園は、あまり大きくないからか遊んでいる子供の姿は少ない。娘はそこで誰かと遊ぶのではなく、ベンチに座ってぼんやりとしていることが好きだった。
まるで姉のようだ。娘には申し訳ないと思いながらも、時々姉と重ねてしまうことがある。
例えば好きな食べ物であるとか、ふとした瞬間の何気ない仕草であるとか。姉の姿を探しては、それに苦しくなるというのに止められなかった。


公園に着き、しかし娘はいつものベンチに座るのではなく、奥の方へと向かっていった。
そこに立つ一本の木の前で止まる。見上げれば一枚だけ枯葉が残っているのが見えた。
途端に今朝見た夢を思い出し、息を呑む。木を見上げる娘の姿が自分の姿に重なって、震える体を誤魔化すように強く手を握りしめた。

「ねぇ――」

耐えきれず止めようと声を上げかけた瞬間、強い風が吹き抜ける。
風は枝に残る枯葉を揺らし、空高く舞い上げた。
夢の中の、記憶の中の光景が重なる。枯葉は高く上がるだけで遠くに流されていく様子はなく、風が収まった後ゆらゆらと揺れながら降りてくる。
娘は手を差し出し、その枯葉を受け止めた。しばらく枯葉を見つめ、ゆっくりとこちらを振り向く。

「お母さん」

近づいて、そっと手を取る。動けない自分の手に枯葉を乗せ、娘はふわりと微笑んだ。

「お母さんが笑ってくれますように」

息を呑む。

「お姉ちゃん」
「わたしはずっと側にいるから、寂しくないよ」

思わず握ってしまった手の中で、くしゃりと枯葉が音を立てる。手を開けば砕けた枯葉が、風に乗って遠くへと流されていく。
それを見ながら、二度目のお呪いのことを思い出した。
妊娠に気づいたのは、お呪いをした次の日のことだった。宿った命に、冗談交じりで姉が帰ってきたのかもと笑ったことを覚えている。
ただの偶然。そう思いながらも、いつの間にか感じていた重苦しさはなくなっていた。

「帰ろうか、お母さん」
「――うん。帰ろう」

泣きそうになるのを堪えて笑う。手を繋いで、ゆっくりと歩き出す。
伝わる温もりが、ただ愛おしい。
手に残る枯葉の欠片に、どうかこの幸せが続くようにと密かに願い、風に乗せて空へと飛ばした。



20260219 『枯葉』







膝を抱えて蹲る彼と背中を合わせて座る。
伝わるのは、深い悲しみと痛み。あの時こうしていればと、繰り返す後悔にそっと俯いた。

「可哀そうだと思われたくない」
「可哀そうだなんて思ってないよ」
「同情なんかいらない」
「同情じゃないよ。こうしていたいだけ」

ぽつり、ぽつりと呟かれる言葉に、静かに答えを返す。
彼は顔を上げない。心はずっと悲しみの海に沈み込んで、まだ浮かび上がってこられない。

「――寂しいよ」

微かに溢れ落ちた言葉。彼の本心に、胸が苦しくなる。

「そうだね……」

側にいるよ、とは言えなかった。言ったとして、自分では代わりにすらならないのだから意味がない。
自分にできるのは、こうして心に触れることだけ。彼から離れてしまった唯一のように、手を引いて外へと駆け出していくことはできない。
遠い昔に手を振り払われてから、彼を見れなくなってしまった。
きゅっと唇を噛み締め、ただ彼の温もりに寄り添う。伝わる痛みがすべて自分に移ってしまえばいいのにと密かに願いながら、彼が再び顔を上げるのを待っている。

「ねぇ……」

か細い声が呼ぶ。身じろぐ気配に、静かに体を離した。
彼はまだ悲しみに沈んだまま。けれどこれ以上ここにいるつもりはないのだろう。
行かないで、と溢れ出しそうになる思いを必死に飲み込む。無理矢理に唇の端を持ち上げ、口を開く。

「行ってらっしゃい」

彼との別れの合図。声が震えないように、大げさに明るく振舞った。
けれど、いつまで経っても彼が動く音がしない。いつもならばすぐにでもここを離れていくというのに、違う行動を取る彼に不安を覚えた。
彼は今、何を思っているのだろうか。知りたくても、彼に触れていない今は何一つ伝わってこない。
自分から離れた方がいいだろうか。そう思った瞬間、手を掴まれた。

「ねぇ」

ぐい、と引かれ、体が傾ぐ。そのまま彼へと倒れ込み、途端に伝わる思いに息を呑んだ。
深い悲しみ。そして怒り。彼自身に向く強い感情に、訳が分からず動けない。
手が離されて、代わりに頬に温もりが触れる。久しぶりに感じる彼の手の感触に、けれど嬉しさよりも困惑してしまう。
今日の彼はやはり変だ。それ程悲しみが深いのだろうか。

「なんで何も言わないの。恨んで拒絶すればいいのに、どうしていつも受け入れるの」

感情を抑えた静かな声に、その言葉に笑みを形作っていた口元が歪んだ。
何か言わなければと思うのに、何一つ言葉が出てこない。
声が近い。今彼と向き合っているのだと理解して、益々何も言えなくなってしまう。

「優しくしないで」

彼は言う。
優しくなんてしていないと言葉を返そうとして、唇に触れた彼の指に止められた。

「優しくされると勘違いしそうになる。あの日俺が手を離して置いて行ったのが悪いのに、こうして目を合わせても俺を見てくれないことを責め立てたくなる。今すぐ逃げ出して、何もかもを忘れたくなる」

段々と声が掠れていく。泣くのを耐えるかのように唇を噛み締める音がして、だから、と震えた声が告げる。

「寄り添おうとしないで。同情なんてほしくない。ただ本心を聞かせて」

彼の真っすぐな視線を感じる。切実な声の響きに、手が服の裾を握り締める。
本当に言ってもいいのだろうか。彼を困らせるだけではないのかと、不安が口を重くする。
彼は何も言わない。ただ自分の言葉を待っている。その気配に訳もなく泣きたくなりながら、ゆっくりと口を開いた。

「――行かないで」

ひゅっと、息を呑む音がした。

「話を聞くことしかできないけど、悲しい気持ちに触れることしかできないけど、寄り添っていたい……側にいてほしい」

彼が激しく動揺しているのが伝わる。やはり困らせてしまったのだろう。
泣くのを誤魔化すように笑ってみせる。ごめんと口に出そうとして、しかしそれを遮るように強く抱きしめられた。

「いかないよ。ここにいる……離れたくない。手を離して、今度こそいなくなってしまうんじゃないかと思うと、とても怖い」

ごめんと彼は繰り返し謝る。
痛いほど強くしがみつく彼の腕が震えていることに気づいて、何も言葉が出てこない。
そっと腕を伸ばす。言葉の代わりに彼の背に腕を回し、答えるように抱き着いた。
彼の悲しみが流れてくる。悲しみが幼い頃の自分たちの姿を浮かばせる。
遊び疲れて動けなくなった自分の手を離して、彼は家へと走っていく。乱暴に開けられた扉。出迎えた母の手を掴み引いて、必死に駆け出した。
離れていた時間は決して長くはない。けれど彼が戻った時には遅かった。呆然と立ち尽くす小さな背。彼の視線の先に黒く蠢く影が見えた瞬間、全てが歪んで真っ黒に塗りつぶされていく。
黒が別の形を作る。明かりのない部屋で眠り続ける自分。意識だけが部屋の隅で、彼と抱き合っていた。

「どこにいても、誰といても、頭から離れない。空っぽの目。機械だらけの暗い部屋……あの日から全部変わったのに、変わらないお前が悲しかった」
「ごめんね」
「そうやってすぐ謝ることが嫌だ。あれから我儘を言わなくなったことも、無理矢理笑う所も……こうして触れていると伝わる感情に、温かなものしかないのも全部嫌だ」

流れてくる悲しみの中に温かなものが混じってくる。包まれる温もりと同じ温度。

「俺の気持ち、ちゃんと伝わってる?」
「うん」
「悲しみに寄り添わないで。同じ気持ちでいるってこと、しっかりと感じていて」

伝わる優しさに、同じ気持ちを返そうと強くしがみつく。
悲しみはまだ感じる。後悔は消えてなくなることはない。それでも彼が望むから、ただ愛しい気持ちを感じ、返していく。

「大好き」
「俺も、大好きだよ」

ふふ、とお互いに笑い合う。温もりの心地よさに、意識が微睡み始める。

意識が途切れ、彼と抱き合う自分が霞んでいく中。
あの日の、澄み切った青空が見えた気がした。



20260220 『同情』

2/20/2026, 5:07:55 PM